幸せってなんだっけ・その2


 

先日、幸福(Well-Being)についてインタビューを受けた。私が幸せな生活を送っているからというわけではなく、健康や精神を大切にしている依頼者にとって、資本主義の権化のような私が物珍しく、ちょっと話を聞いてみようと思ったようだ。先月の本欄「幸せってなんだっけ」に続いて、もう少し幸せについて考えてみよう。

 

まず、「幸せってなんだっけ」という表題の質問に答えるのは、実に簡単だ。そして、実際に幸せになることも、そんなに難しくはない。

 

幸福とは、もっとも一般的には「自分が大切にしていることについて、心理的に満たされた状態」である。たとえば、健康が大切だと考えている人が健康だと感じたら幸せだ。お金が大切だと考えている人が金銭的に満たされたと感じたら幸せだ。

 

ポイントは、絶対的に水準が高いかどうかではなく、本人の心理が満たされているかどうかだ。重病を患い、はた目には不幸に見えても、本人が「生きているから満足」と感じているなら、幸せだ。億単位の報酬を稼ぎ、はた目には幸せに見える企業経営者でも、本人が「世界トップ企業の経営者に比べたら俺の報酬は低すぎる」と考えているなら、不幸せだ。

 

幸せになるには、2つアプローチがある、一つは正攻法で、自分が大切にしていることについて、努力して絶対水準を引き上げることだ。健康を大切にしているなら、ダイエットやトレーニングなど努力して絶対水準を上げれば、幸福感が高まる。

 

もう一つは裏技で、目標を引き下げることだ。満たされた状態は目標の充足度合いで決まってくるから、目標を引き下げれば、絶対水準が上がらなくても満足度が高まる。ブータンのように非常に貧しくても、豊かな諸外国の情報に目を閉ざし、「ご先祖様と同じのんびりした生活ができているから幸せだと考えることにしよう」と思いこめば良いわけだ。

 

正攻法はなかなか難しいが、裏技の方は努力しなくても気持ちの持ちようで実現することができる。よって、幸せになるのはそんなに難しくはない、ということになる。

 

ところで、先日のインタビューで、「あなたの健康・食・人間関係・仕事・お金・愛の優先順位は?」と聞かれた。

 

私の答えは、上から①仕事(最も難易度が高い挑戦)、②お金(仕事の成果を計測するもの)、③健康(良い仕事をする前提条件)、④食、⑤愛(ちゃんと仕事をし、普通に人と接していればある程度は愛される)、⑥人間関係(かなり良好で当たり前)

 

もちろん、“自分が大切にしていること”は人によって異なるから、順序は人それぞれだろう。大切なことも人それぞれ、目標も充足度合いも考え方・感じ方で人それぞれだとすると、幸福を議論することにいったいどういう意味があるのか、という議論に行きつく。幸福論・論とでも言えようか。

 

幸福は人間にとって最も切実な問題であり、古代ギリシャからさまざまな幸福論が語られてきた。ただ、幸福は極めて属人的な問題であり、その属人的な事がらを公に論じるというは、基本的に“おせっかい”である。幸福論を声高に主張する人は、悪い言い方をすると「他人にからんでくる面倒くさい人」、良い言い方をすると「他人への愛が深い人」ということになる。

 

最後に、おせっかいを承知で持論を述べると、ブータン方式で目標水準を切り下げて幸せになるというのは危険な発想だ。国民が目標を切り下げて「ああ幸せだ!」と感じるのは、為政者にとって誠に都合が良いが(今の日本はそれに近い)、騙され続けて生きるというのは人間の尊厳を冒涜しているのではないだろうか。国民が努力して達成水準を引き上げることで幸福になるのが大切だと思う。

 

(2018年12月17日、日沖健)