幸せってなんだっけ?

 

先月25日、“ホストの帝王”こと、新宿・歌舞伎町「クラブ愛」の愛田武社長が亡くなった。愛田社長は、裸一貫から夜の世界で財を成し、一代で日本最大のホストクラブ・グループを作り上げた。豪放磊落で波乱万丈な生き様は、ドラマ化・映画化され、社会的な注目を集めた。

 

ただ、大の艶福家だったせいで次々に子供が名乗り出るなど、家庭生活ではトラブルに見舞われた。晩年は、一族の覇権・相続争いが勃発し、子供が次々と謎の自殺。財産の大半を失い、自身は老人ホームに追いやられ、家族も離れ去り、孤独な最期だったらしい。

 

愛田社長が亡くなった後、ネット掲示板では故人を偲ぶ声とともに、「どれだけ儲けても、最後があれではねぇ」「貧しくても、家族に囲まれて笑って死む方が幸せ」という意見がたくさん寄せられた。一方、少数派だが「貧乏でも幸せって、完全に負け組の発想だろ」という意見もあった。

 

ここで質問。皆さんは、次のAさんとBさんではどちらを選ぶか。

 

Aさん(愛田社長):事業で成功し、豊かな生活をしてきたが、財産を巡る争いで家族バラバラになり、誰にも看取られず一人寂しく死ぬ。

 

Bさん(ネット民):貧乏で生きていくのにやっとの生活だったが、家族に囲まれて穏やかに暮らし、最期を迎える。

 

この質問をこれまで何人かに投げかけたのだが、寄せられた答えは、多い順に以下の通りである。

 

    どちらでもない。「何を幸福と考えるかは人それぞれでしょ」「金銭的な豊かさと家族愛を比較するのはナンセンス」

 

    Bさん支持「金銭的な豊かさは価値が低い、幸福はお金で買えない。」

 

    Aさん支持「貧乏で幸せなわけないだろ。単なる自己肯定。」

 

ということでAさんかBさんかというより、①「考えること自体が無意味」という意見が多い。

 

たしかに、幸福について考えるのは難しい。まず、何を幸福と考えるかは、人それぞれの価値観によって異なる。しかも、死ぬまでまだ時間がある一般の人が「死ぬ時点で幸福だ、いや不幸だ」と主張しても、厳密には反証できない。近年、行動経済学の応用領域として「幸福の経済学」が注目を集めているが(キャロル・グラハムの同名書が有名)、幸福を科学的に研究するのは極めて困難だ。①が多いというのは納得いく。

 

ただ、幸福は、間違いなく人間にとって最大の関心ごとだ。研究しにくいからといって、重要なことを研究しないというのは、研究者の姿勢としていかがなものか。経済学者だけでなく、心理学者・社会学者・生理学者など、学際的に研究を深めて欲しいものだ。

 

ちなみに私は、断然Aさん(愛田社長)を支持する。死後の世界がなく、生前のことを振り返ることができないとすれば、存命中に幸福だと感じる時間が長い方が良い。しかも、死ぬ間際は認知症などで判断力がかなり失われており、幸福か不幸かという判断がつかない。

 

金銭的な豊かさと家族愛を比較するのはたしかに難しいが、貧乏な家庭は生きていくためにカネがすべてに優先し、家族関係が荒んでいるケースが多い印象だ。「貧乏だが明るい幸せな家族」というのは、結構ハードルが高い。逆に、お金の心配がない富裕層の方が家族関係もうまく行きやすいのではないか(もちろん、愛田社長のように例外は多い)。

 

人生で最も大切な問題なのに、議論せず、考えず、怪しげな宗教が跋扈しているのが、幸福。「幸せってなんだっけ?」、愛田社長の死をきっかけに、幸福について真剣に考えてみたいものである。

 

(2018年11月5日、日沖健)