幕末にペリーが見通した日本の将来

幕末に黒船で来航したペリーは、『ペリー提督日本遠征記』を残している。その中に、次のような非常に考えさせられる文章がある。少し長くなるが引用する。

「実用的、機械的技術において、日本人は非常な精巧さと緻密さを示している。そして彼等の道具の粗末さ、機械に対する知識の不完全さを考慮するとき、彼等の手工業上の技術の完全なことはすばらしいもののようである。日本の手工業者は世界におけるいかなる手工業者にも劣らず熟練して精通しており、国民の発明力をもっと自由に発達させるならば、日本人は最も成功している工業国民にいつまでも劣ってはいないことだろう。他の国民の物質的進歩の成果を学ぶ彼等の好奇心、それらを自らの使用にあてる敏速さによって、日本国民と他国民との交通から孤立させている政府の排外政策の程度が緩和されるならば、彼等はまもなく最も発達した国々の水準まで達するだろう。日本人が一度文明世界の過去及び現在の技能を所有したならば、強力な競争者として、将来の機械工業の成功を目指す競争に加わるだろう。」

ペリーが来航した185354年、アメリカでは鉄道が普及し、急速に工業化が進んでいた。一方、わが国では全人口の8割以上が農家だった。日の出の勢いの新興工業国アメリカからやって来たペリーが、停滞する農業国の日本を見て「強力な競争者」と判断したわけだ。

それから2000年頃まで150年間、わが国はペリーの予想通りに発展した。単に予測が当たったというだけでなく、日本人の特徴として「好奇心」、発展のための方策として「排外政策の緩和」を指摘しており、ペリー(や随行した船員)の観察眼・洞察の鋭さには驚愕する。

来航した黒船から黒煙が上がるのを見て、戦争が始まると恐れて、海から離れた場所に家財道具を隠す者がいた。しかし、幕府の禁止令を無視して黒船見物の船を出して軍艦に近づく者がすぐ現れた。「海に浮かぶ城みたい」と面白がり、一大イベントを楽しんだ。ペリーの似顔絵や幕府の対応をまとめた瓦版が町中で売り買いされた。好奇心の強さは日本人の大きな特徴だ。

幕府の大老・井伊直弼は、朝廷や攘夷派の反対を押し切って1858年に開国した。1860年には日米修好通商条約を批准する使節団をアメリカに、明治維新後もアメリカ・ヨーロッパに使節団を派遣し、欧米の近代的な社会制度を取り入れた。お雇い外国人を招いて、先端技術を導入した。開国を拒否して没落した清国などと違って、思い切った開国がわが国を発展させた。

という幕末・明治維新と比べて最近気になるのは、日本人の「好奇心」が弱まり、「排外主義」が逆に強まっているのではないか、という疑念だ。

通勤電車の中で、座っている者は居眠りし、立っている者は携帯電話で漫画か動画をボーッと眺めている。海外旅行者数は激減している。ずっと親元で暮らしたいという若者、転勤はNGという会社員が増えている。日本人の「好奇心」はかなり落ちているようだ。

近年、ネットを中心に「外国人を日本から追い出せ」という主張が広がっている。排外主義を掲げる保守政党が台頭している。企業経営者も海外の先進企業に学ぼうとせず、「日本には日本のやり方がある」と殻に閉じこもっている。「排外主義」は今日の日本の大きな社会トレンドだ。

好奇心が弱まり、排外主義に傾く今日の日本をペリーが見たら、どう思うだろうか。「こりゃアカン」とため息をつくか、それとも「いや、日本人は再び自己変革できる」と思うか。興味あるところだ。

 

(2026年7月20日、日沖健)