結果責任を問い過ぎる韓国、問わなさ過ぎる日本

FIFAワールドカップの熱戦が佳境を迎えている。どの国に栄冠が輝くのか興味は尽きないが、個人的にそれよりも興味を引くのは、すでに戦いを終えた韓国と日本だ。

韓国代表は、1次リーグを12敗で終え、2大会ぶりに決勝トーナメント進出(ベスト32)を逃した。日本代表は、1次リーグ12引分で決勝トーナメントに進出したが1回戦で敗れ、前大会の「2勝しベスト16」という結果を下回った。

韓国も日本も、世界ランキングで格下のチームに1勝しただけで、前大会の順位を下回った。戦いぶりやクジ運などはともかく、結果自体は両国で大差ない。しかし、よく似た結果を受けた国内の反応は、まったく違った。

韓国では、敗退が決まった直後から洪明甫監督や大韓サッカー協会への批判が沸騰した。ファンのみならず、李在明大統領が自身のSNSで「無能な人物を指揮官に選べば、結果は火を見るより明らかだ」と糾弾した。国会は、大韓サッカー協会の代表監督選任問題を巡り、722日に洪監督らを招致して聴聞会を開く。結果責任を徹底追及する構えだ。

一方、日本では、帰国した森保監督・選手をファンは「よく頑張った」「感動をありがとう」と温かくねぎらった。森保監督・選手は連日メディアに引っ張りだこで、まるで優勝したかのような祝賀ムードだ。日本サッカー協会が森保監督の「(アジア大会まで)当面続投」を早々に決めた通り、結果責任を問う声はほとんどない。

どうしてこれほど大きな違いが生まれたのだろうか。国民性や国内でのサッカーの位置づけ・サッカー協会と国の関係などの違いが指摘されている。どれも当たっているが、韓国では、大統領が辞任する度に在任中の不正を追及しているのを見ると、国民性・お国柄の違いが最も大きいように思う。

韓国のように結果責任を厳しく問うことの意義について考えてみよう。結果責任を問うことには、メリットとデメリットがある。

メリットは、大きな改革が進みやすいことだ。摩擦・軋轢を生む大きな改革を進めるには、関係者が「このままではいけない!」と強い危機意識を持つ必要がある。結果責任、つまり「犯人と罪状」を明らかにすることで、危機意識を醸成し、改革に向けて関係者を方向づけることができる。

デメリットは、責任の所在を巡って「監督の采配が悪かった」「いや選手のスキルが足りなかった」と摩擦・軋轢や疑心暗鬼を招くことだ。サッカーのような団体競技でチーム内に不信感が生まれるのは、好ましくない。また、短期的な結果を急ぐと、長期的な人材育成がないがしろにされてしまうという問題もある。

では、結果責任を厳しく問うべきか、問うべきではないか。これは、組織がどういう目標を目指しているかによって異なる。一般に、大きな目標を実現するために大胆な改革を進めたいなら、結果責任を問うべきだ。チームワークの維持(=和)を最優先するなら、問うべきではない。

韓国代表は、長くアジアの盟主だったが、2002年ワールドカップ日韓大会の4位をピークに長期低落傾向にある。アジア最強の地位を取り戻すには、抜本的な改革に取り組む必要があり、結果責任を問う合理性はある。ただ、あまり厳しく責任を問うとチームワークが崩壊し、監督も選手も委縮してしまうので、弊害も大きそうだ。

日本代表は、大会前に「優勝」という目標を掲げていたが、結果は遠く及ばなかった。現在の指導体制・育成・戦術を続けて「優勝」するのは極めて困難で、こちらも抜本的な改革が必要だ。とすると、韓国ほどではなくても、森保監督の責任を問う声があってもいいだろう。

もっとも、勇ましく「優勝」と宣言してみたものの、たとえば「ワールドカップの晴れ舞台で正々堂々と日本らしいプレイを世界に披露すること」が本音の目標だったなら、十分に達成できているので、責任を問う必要はない。森保監督が本心で「優勝」と宣言していたのか、気になるところだ。

 

(2026年7月13日、日沖健)