先週タイ・バンコクに行って野村学君と会った。野村君と私は学生時代のゼミ仲間で、久しぶりに旧交を温めた。
野村君は、大学を卒業後、野村證券に入社した。法人営業部門などで活躍し、執行役員になり、野村IRの社長、LINE証券の会長を歴任した。そして、2年前に証券業界を離れてタイに渡り、現在はタイ・イセキュウの社長をしている。
タイ・イセキュウは、窯業技師としてタイに来ていた野村君の父・野村力さんが、名古屋の老舗商社・伊勢久と共同で1979年に創業した。野村力さんは、趣味の骨董品巡りで目にした磁器ベンジャロン焼きの美しさに心を奪われ、自らの手で創り出したいと思った。野村力さんは勤めていた会社を辞め、バンコクに残ってイセキュウを経営した。
ベンジャロン焼きは、17世紀アユタヤ王朝時代から続く王室御用達の高級磁器で、金彩をふんだんに使った華やかな色彩と緻密な手描きの文様が特徴である。ベンジャロン(BENJARONG)は、サンスクリット語で「5つの色(五彩)」を意味する。
現在、タイ・イセキュウは、セラミック原料などの輸入販売という商社ビジネスとベンジャロン焼きの小売りを営んでいる。ベンジャロン焼きの店舗は、BTS(都市高架鉄道)ナナ駅とアソーク駅の中間にある(1階が店舗、2階が事務所、3・4階が住居)。表看板に「ベンジャロン」と日本語で書かれている通り、日本人観光客と日系企業の駐在員が主な客だ。
野村君が家族を日本に残して単身タイに渡った目的は、現地に一人で住む母親の面倒を見ること(野村力さんは22年前に逝去)と父親が残した事業を立て直すことだ。父が愛したベンジャロン焼きを広めたいとも願うが、それが主目的ではない。
証券マンが60歳近くになって海外に単身赴任し、不慣れな家業を継ぐというのは、かなり困難な転身に見える。経済的には、相当なマイナスだろう。しかし、野村君は「生涯で二つの仕事ができて、しかも二つの国で暮らすことができて、幸せ」と言う。学生時代と変わらず、困難にもめげない男だ。
今回、野村君と会って、改めて「人生二毛作」という言葉を思い浮かべた。一つの会社に勤めて一毛作で職業人生を終える人もいれば、野村君(や私)のように二毛作に挑戦する人もいる。
もちろん、人それぞれの人生なので、どちらが良いとも悪いとも言えない。ただ、近年、副業・転職・起業などが極めて容易になっていることを考えると、もし二毛作を望んでいるなら、挑戦しない手はないと思う。
50台以上で二毛作目を目指すシニアに対し、たいていの指南本は「今までの経験と培ったスキルを生かせることをやりましょう」とアドバイスする。たしかに、大失敗して破産するというリスクを避けるには賢明なやり方だが、それでは「1.2毛作」にしかならない。
それよりも、野村君のようにまったく違ったことをやる完全な二毛作の方が、充実した人生を送ることができるだろう。もちろん、完全な二毛作は失敗する可能性が高いので、失敗が許される経済的余裕があるという条件付きの話ではあるが。
ところで、今回の旅行中、ジム・トンプソンの旧家を見学した。アメリカ人のジム・トンプソンは、第二次世界大戦中に軍人としてタイに派遣され、終戦後もタイに残り、タイ・シルクの価値を見出し、世界に広める貢献をした。人生二毛作の大先輩ジム・トンプソンに倣って、「マナブ・ノムラ」がベンジャロン焼きの世界的なブランドになって欲しいものである。
(2026年5月18日、日沖健)