ルイスの転換点と今後の物価動向

 

わが国では、第2次安倍政権・日銀が2013年から世界でも類を見ない「異次元の金融緩和」を10年以上に渡って実施したが、デフレ脱却は実現しなかった。ところが、金融緩和の出口戦略を開始した2024年からインフレが始まった。この不可解な状況を説明する一つの仮説として注目されているのが、「ルイスの転換点」である。

ルイスの転換点は、英国の経済学者アーサー・ルイスが提唱した開発経済学の概念である。工業化による経済成長は、農村の余剰人口が工場のある都市部に流入することで進む。しかし、余剰人口が枯渇して流入が止まると、都市部では働き手が不足し、賃金が急上昇し始める。この賃金上昇の開始時期を「ルイスの転換点」と呼ぶ。

戦後、集団就職に象徴される通り、東北・九州など地方から大都市圏に大規模な人口流入があった。しかし、1960年代後半になると農村の余剰人口が枯渇し、人口移動は沈静化した。これが、第1のルイスの転換点である。

さらに、2023年頃に第2のルイスの転換点(令和の転換点)を迎えたという指摘が出ている。

少子高齢化でわが国の生産年齢人口(15歳から64歳)は1995年をピークに減り始めた。労働力不足に直面した企業は、それまで就業率が低かった女性・シニアを積極的に雇用し、不足分を補った。女性・シニアは低賃金の非正規雇用で働くことが多く、企業の人件費負担はあまり上昇しなかった。そのためコストの価格転嫁によるインフレは起こらなかった。

ところが、2024年に女性の就業率は生産年齢人口で74.1%、2544歳に限ると81.9%に達した。6569歳の就業率は53.6%に上昇した。女性やシニアの労働参加が限界に達し、慢性的な人手不足と賃金上昇が再び始まった。これが第2のルイスの転換点である(本来の概念の趣旨とは少し違うが)。

日本の実質賃金は長く上がっていないが、ユニット・レイバー・コストや短期的な労働需給を反映するアルバイト・パートの賃金は、このところ急上昇している。人手不足が最近のインフレの大きな原因であることは間違いない。

もう一つ、近年のインフレを説明する有力な仮説が、デジタル赤字である。デジタル赤字は、日本人が海外のデジタル関連サービス(クラウド、サブスク、動画配信、アプリストアなど)を利用する際に支払う費用によって国際収支が赤字になることを言う。国際収支の赤字→円安→輸入物価上昇という流れでインフレを招く。

人手不足もデジタル赤字も一過性のものではなく、今後も長く続くと思われる。ということは、この要因によるインフレ圧力はずっと続きそうだ。

今後もインフレが続くとしたら、日本企業はどう対応するべきだろうか。

まず人件費や原材料などのコストが上がるので、販売価格に転嫁する必要がある。価格転嫁できるかどうかは、営業担当者の交渉力もさることながら、顧客に「高くても買いたい」と思ってもらえる商品力が欠かせない。商品開発力強化の取り組みが急務だ。

オペレーションでは、最大のコストである人件費をコントロールする必要がある。賃下げをするわけにはいかないので、いかに生産性を高めるか、AI化でいかに人を使わないようにするかが課題だ。

戦後、日本企業は「より良いものをより安く」で成功を収めた。しかし、人手不足の時代にいよいよこの必勝法が行き詰まっている。抜本的な事業運営の見直し、新たな必勝法を生み出す必要に迫られている。

 

(2026年3月30日、日沖健)