なぜ名経営者が晩節を汚してしまうのか

会計処理を巡る不祥事で揺れるニデックは19日、創業者の永守重信が取締役を辞任し非常勤の名誉会長に就くと発表した。永守は「ニデックの企業風土は私が築いた。(不祥事で)世間の皆様にご心配をおかけし、申し訳なく思う」 などとするコメントを公表した。事実上の引責辞任である。

永守は、1973年に28歳の若さで日本電産(現ニデック)を創業し、一代半世紀で2兆円企業を築き上げた、戦後のわが国を代表する経営者の一人である。永守のような名経営者が不祥事で姿を消すのは、まさに晩節を汚しており、残念な限りだ。

永守だけでなく、ダイエーの中内功やイトーヨーカ堂の鈴木敏文といった名経営者も、最後は「晩節を汚した」と批判された。個人的な印象だが、マイクロソフトのビル・ゲイツやGEのジャック・ウェルチが絶頂期に引退したのと比べると、わが国では晩節を汚す経営者が多いように思う。

なぜわが国では、多くの名経営者が晩節を汚してしまうのだろうか。

晩節を汚す経営者に共通するのは、在任期間が異常に長いことである。もちろん、能力が高く、圧倒的な成功を収めたから長期政権になるわけだが、何十年も過ぎると、本人の能力が劣化するし、大きな環境変化が押し寄せるので、成功し続けるのが難しくなる。

ここで、日本とアメリカでは、経営が傾いてきたときの対応に大きな違いがある。

一つはコーポレートガバナンスだ。

株主重視でガバナンスが機能している(ことが多い)アメリカ企業では、経営が傾いて株価が下がったら経営者はクビになる。しかし、ガバナンスが未成熟なわが国では、実績のある名経営者をクビにしようという話にはならない。経営不振に陥ってからも延々と経営者の座に居座り続けて、傷口を広げてしまう。

もう一つは、「有終の美」「花道を飾る」「終わり良ければ総て良し」という日本独特の考え方だ。

日本人は異常に物忘れが激しいので、途中の業績をすっかり忘れて最後の印象だけで人を評価する。たとえばカルロス・ゴーンと言えば、「日産V字回復の立役者」ではなく「国外逃亡した犯罪者」だ。日本人経営者はこの文化に染まっているので、「何とか俺の手で経営を立て直して有終の美を飾ろう」と無理を重ねて、墓穴を掘ってしまう。

この点で参考になるのが、ホンダの本田宗一郎である。

1948年にホンダを創業し、世界的な輸送機メーカーに育てた本田は、創業25周年の1973年に66歳で社長の座を降りた。本田は、自身の発想が企業本位になってきたこと、若手技術者との意見の対立(特に水冷エンジンへの移行)があったことから、「若い者の時代だ」と判断した。なお本田は、後任に自身の子息ではなく、河島喜好(45歳)を指名した。

いま、日本の上場企業は、社外取締役を増やす、取締役会の中に指名委員会を設置する、サクセションプラン(後継者育成計画)を作成する、などのガバナンス改革を進めている。それらが無意味だとは言わないが、実績のある経営者が「俺はまだ続ける」と言えば、認めざるを得ないのが現状だ。

それよりも、本田宗一郎のように、自分自身を冷静に見つめて、会社の将来のためになる身の処し方ができるよう、経営者を教育することが大切だと思う。

 

(2025年12月29日、日沖健)