寮母さんの思い出

昔話で恐縮だが、37年前、日本石油(現ENEOS)に入社し、大阪支店に配属された。そして、阪急芦屋川駅の近くにあった独身寮に入った。

今はなきその独身寮では、50歳代(?)のKさんご夫妻が住み込みで管理人をしていた。奥さんは大柄で、豪放磊落な性格で、とにかく迫力のある人だった。旦那さんは小柄で、気が小さく、居るか居ないか分からないような人だった。ついでに、幸一という名の本気で人に噛みついてくる凶暴な犬を飼っていた。

旦那さんはパチンコ・競馬・麻雀など博打が好きで、よく負けてコソコソと寮に帰ってきた。奥さんがそれを見つけて、「お前は何をやっとんじゃい!」と怒鳴り付け、手加減なしで蹴りを入れていた。これはほんの一例で、しょっちゅう奥さんの怒声が響き渡っていた。家族以外と共同で住むのは初めてだった23歳の私は、大いに面食らった。

奥さんと一度だけ芦屋川駅前の喫茶店に入り、珈琲をご馳走になったことがある。凶暴な奥さんを警戒していたので、どうして喫茶店に入ったのか覚えていない。その時、奥さんが「人生色々とあったけど、こうして寮の管理人として平穏な暮らしができて、感謝している」としみじみ言っていたのが、妙に記憶に残っている。

その後、Kさんご夫妻は諸事情あって管理人を辞め、寮を去った。どうしているのかと思っていたら、奥さんは19951月の阪神淡路大震災で亡くなられた。あれから今年はちょうど30年になる。

私は、入社5年目に大阪支店から本社に転勤になり、東急学芸大学駅の近くにあった独身寮に入った。寮といっても、元は役員社宅だった大邸宅の部屋に5人が間借りして住むというものだった。

その寮には住み込みの管理人はいなかったが、Aさんという40歳代(?)の女性が週に何日か通ってきて数時間、共有部分の掃除など世話をしてくれた。Aさんの旦那さんは日本石油の社員だったが、若くして亡くなられた。Aさんの将来を案じた会社が、管理人の仕事を世話したようだ。

Aさんとは入れ違いでほとんど接点がなかったが、一度だけ寮のダイニングでゆっくり茶飲み話をしたことがある。Aさんは延々と娘の自慢話をした後、「こうして親子で平穏な暮らしができて、感謝している」と言っていた。あれ、Kさんと同じセリフだ…。

私は約1年で寮を出た。それから数年後、寮は閉鎖された。寮を出て以来30年近くAさんとはお目にかかっていない。今はどうされているのだろうか。

以下は雑感。

ü  管理人には、普通のサラリーマンにはない、様々な人生ドラマがある。

ü  昔の日本企業は、従業員だけでなくその家族にも優しかった。良いことか、悪いことか。

ü  多くの人にとって「平穏な暮らし」はとても大切のようだ。

ü  近年は、転勤せず、親元から通勤することを希望する若手社員が多いようだ。しかし、私は、転勤して寮に入り、Kさん・Aさんなど色々な人と出会えて、本当に良かったと思う。

ü  私は現在コンサルタントとして経営者の相談に乗っているが、昔から話し掛けやすいタイプだったのかもしれない。

ü  人は、大事なことを忘れてしまうのに、割とどうでも良いことを何十年後もビビッドに記憶している。

 今週は取り留めのない話で失礼。

 

(2025年12月1日、日沖健)