日本版トラス・ショックの可能性は低いものの

今週、高市早苗氏が新首相に就任する。それを前に、一部の債券市場関係者から“トラス・ショック”の再現(以下「日本版トラス・ショック」)を危ぶむ声が出ている。

トラス・ショックとは、2022年にイギリスのトラス首相が、財源の裏付けのない積極財政(減税・財政出動)を実施しようとしたところ、市場でポンド売り・債券価格の暴落が起こり、トラス首相は就任からわずか44日後に辞任に追い込まれたという事件である。

高市新首相や連立を組む日本維新の会がトラス首相と同じように財源の裏付けのない積極財政を主張していることから、日本版トラス・ショックが懸念されているわけだ。

ただ、以下4点から、日本版トラス・ショックが起こる可能性はかなり低いと思われる。

1つ目に、高市氏の政権基盤が弱いことだ。自民党は衆参両院で少数与党だし、高市氏は党内の支持基盤を持たないので、何をするにも野党や麻生派の協力が不可欠だ。解散総選挙に打って出て勝利を収めるまでは、ショックを起こすような思い切った政策を打つことは難しいだろう。

2つ目に、財務省の影響力が強いことだ。経済産業省が重用された第2次安部政権を例外として、日本では戦後、財務省(旧大蔵省)が政権をコントロールしてきた。高市氏が財源の裏付けのない積極財政に打って出たら、財務省は総力を挙げて立ち向かうだろう。

3つ目に、緊急事態になったら日銀の支援を受けられることだ。独立性が高いイングランド銀行と違って、第2次安倍政権以降、日銀は政府の支配下にある。もしショックの兆候が現れたら、日銀が国債を直接買い入れるなどの禁じ手を使って全力で政府を支援するに違いない。

4つ目に、頭脳明晰な高市氏はおそらくインフレ下での積極財政という経済学の常識に反する政策の愚かさを熟知していることだ。無教養な国民の支持やポピュリズムしか頭にない野党の協力を取り付けるために積極財政を唱えたものの、総理になってしまえば、愚策にさほどこだわらないだろう。

ということで、日本版トラス・ショックの可能性は低く、メディアでもさほど大きな話題になっていない。メディアがこの問題を取り上げる場合も、「可能性は低い」という専門家のコメントを紹介してお終いだ。

しかし、この問題をスルーするのは、あまりにも危険だ。低いと言っても可能性は厳然としてあるし、実際にショックが起こったら、トラス首相の辞任で一段落したイギリスとは比べ物にならない深刻な影響が出るからだ。

イギリスと違って日本は債務残高が多く、深刻な財政難だ。経済状態が悪くショックに対してぜい弱だ。国民はたかだか2%のインフレで悲鳴を上げている。という状況で日本版トラス・ショックが起こったら、数十円単位の円安・10%を超える猛インフレ・債券暴落が起こり、株や外貨建て資産を持たない一般庶民の生活は破壊されるだろう。

おそらく高市氏は、(愚策だと思っているかどうかに関係なく)今後も積極財政を声高に主張し続けるだろう。仮に実現できなくても、「財務省の抵抗で阻止された」と“悲運の政治家”を演出すれば、国民の同情を買うことができるからだ。積極財政は、実現してもしなくても、高市氏の支持率を高めるだろう。

国内政局的にはそれで良いが、問題は市場が黙って見過ごしてくれるかどうか。リーマン・ショックやトラス・ショックといった過去の例を見ると、暴力的な市場の圧力をあまり甘く見ない方が良いと思う。

 

(2025年10月20日、日沖健)