健康寿命・資産寿命と安楽死

夏休みの課題図書ということで、野口悠紀雄著『終末格差』を読んだ。「健康寿命と資産寿命の残酷な事実」という副題の通り、日本人の老後に関する厳しい状況について、いつもの野口節で淡々と語られている。

野口が指摘する「残酷な事実」は以下の通りだ。

    今後、年金の給付水準が低下し、年金だけでは老後の生活は成り立たない。老後資金は2,000万円どころか5,000万円必要。

    現在の介護保険制度では、要介護者は十分な介護サービスを受けられない。今後の改革も財源や介護人材の不足から難しい。

    よって、大半の日本人、とくに非正規労働者が多い就職氷河期世代の老後は、実に悲惨なものになる、

この「残酷な事実」にどう対処するべきか。野口は、「リスキリングし、ずっと働き続け、社会との繋がりを維持するべきだ」と主張している。

たしかに、現在の老後の問題は、仕事を辞めるのが早すぎること、健康寿命に達してから死むまでの期間が長すぎることに起因する。仕事を長く続けたら年金の問題はかなり解決するし、社会の繋がりを持てば健康寿命が長くなり、介護の問題はかなり解決するだろう。問題解決の方向性に異論ない。

ただ、現実には、80歳過ぎまで元気に働いて家計でも介護でも家族などに迷惑を掛けず、「ピンピンコロリ」するという高齢者は、極めてまれだ。大半の老人が家計と介護で家族に多大な迷惑をかけている。多くの高齢者は、家族や社会から「厄介者」と邪険に扱われ、尊厳を保てず、寂しくこの世を去っている。

そこで、高齢者から出てくるのが、「まだ金も健康な体も思考力もあるうちに尊厳を保って死にしたい」という願望だ。

元東大教授の西部邁は、50代から「生の最期を他人に命令されたりいじり回されたくない」「死に方は生き方の総仕上げだ」などと表明し、2018年に多摩川に入水して78歳の生涯を閉じた。西部のように尊厳を保って自分らしく死にたいと考える高齢者が、今後増えてくるのではないだろうか。

ただし、西部の自殺を巡っては、自殺ほう助の疑いで知人2人が逮捕されて有罪判決を受け、大きな社会問題になった。といった混乱に陥らないように、安楽死を制度化してはどうだろう。

現在、オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・カナダ・コロンビア・スペイン・スイスなどの国で安楽死が認められている。どの国でも、安楽死は終末医療の場面で適用されているだけだが、一般的な自殺にも広く活用できれば、本人の尊厳を保てるし、年金・介護の問題もかなり解決される。

もちろん、高齢者が安楽死を選ぶように家族・社会から強制されることは、絶対にあってはならない。あくまでも、本人が自らの意思で明確に選択した場合に限って厳格に適用する必要がある。

言うまでもなく、日本は世界で最も高齢化が進んだ国だ。世界に先例がない以上、世界に先駆けて、高齢者の終末と家族・社会への影響についてタブーを恐れずゼロベースで考えたいものである。

 

(2025年8月18日、日沖健)