日本の教育史の偉大なる3つの事実

社会人教育や学校教育に携わる者として、この5年ほどわが国の教育の歴史について研究している。

資源を持たないわが国が明治維新以降、飛躍的に発展してきた原因として、国民の教育水準の高さがよく指摘される。日本の教育史には、世界に誇るべき3つの特徴的な事実がある。

第1に、早い時期から一般庶民の教育が始まり、普及したことである。

わが国では17世紀後半から全国各地に寺小屋が建てられ、庶民教育が普及した。岡山藩主・池田光政は、1669年に日本最古の藩校を設立し(前身の花畠教場は1641年)、その翌年、庶民向けに閑谷(しずたに)学校を設立した。この事例のように、エリート教育から間を置かず庶民教育が始まっている。

世界を見渡すと、本格的に庶民教育が始まったのは、先進国でも19世紀以降のことである。例外的にそれ以前に庶民教育が行われることはあったが、あくまで宗教的な施しであった。早い段階から「読み・書き・そろばん」という実践的な教育が行われていたのは、稀有な事実である。

第2に、早い時期から女子教育が始まり、普及していたことである。

わが国で近代的な女子教育が始まったのは明治維新以降だが、江戸時代の全国の寺小屋は、女子にも開放されていた。寺小屋に在籍した生徒の約2割が女子だったという調査結果もある。

中でも興味深いのは、近江商人を輩出した近江国の女子教育である。近江国・五個荘の寺小屋では、全生徒に占める女子の割合が37%に達し、教育を受けた女性が商家の経営管理を担っていた。女性活躍という点でも、世界的に先駆的な事例と言えよう。

第3に、早い時期から企業内で一般工員向けの技能教育が始まったことである。

三菱グループの基礎を築いた荘田平五郎は、1899年に長崎造船所の構内に三菱工業学校を設立し、一般工員の養成に努めた。三菱工業学校を修了した工員は、三菱重工業を造船業の世界的トップに押し上げただけでなく、全国の製造現場で技術指導や技能教育に携わり日本のものづくりをレベルアップさせた。

今日でも、諸外国では企業内教育はあまり盛んではない。やっているとしても、GEのクロトンビル研修センターのように幹部養成がほとんどだ。明治時代から企業内で一般工員の技能教育を行ったというのは、ものづくり大国・日本の面目躍如である。

この3つの事実からわかるのは、「エリートを対象に教養を授ける教育」が中心だった欧米と違って、日本では「一般庶民を対象に実学を授ける教育」が早期から展開されたことである。そして、一般庶民の教育水準の高さが、社会の発展に大きく寄与した。

翻って、今日の日本はどうだろう。各種の国際調査から見る通り、日本人の学力の高さは健在だ。しかし、学力の高さが社会の発展に繋がっているかというと、疑問符が付く。むしろ、スタンフォード大学の卒業生がシリコンバレーでIT産業の発展に貢献しているアメリカの方が、はるかにうまく行っているように思う。わが国の大きな課題である。

ところで、上記の1点目は比較的よく知られているが、2点目・3点目はあまり知られていない。世界的に極めて稀な2点目・3点目については、また改めて詳しく書きたい。

 

(2025年7月7日、日沖健)