昨年9月27日、私の自宅(横浜市)の近くにある洋食店「サンロード」が店じまいした。1974年にマスターの吉田修一さんが創業し、半世紀に渡って親しまれた、横浜を代表する人気洋食店である。マスターと二人三脚で歩んできたシェフの体調が悪化したことなどから、急遽のれんを下ろす決断をしたらしい。
9月26日にたまたま店の前を通りかかると、いつもにない長蛇の大行列。何事かと思ったら、店頭に「9月末をもって閉店します」という張り紙があった。そして数日後、店の前を通ったら、行列はなく、「シェフの体調の関係で多数のお客様に対応することが難しく、予定より早く店じまいさせていただきました」という旨の張り紙がしてあった。
あまりの数のお客様が殺到し、シェフがギブアップしたらしい。マスターやシェフは、店じまいをする前に長年の常連客などにきちんとお別れと感謝の挨拶をしたかったはずだ。思わぬ形で店じまいすることになってしまい、その気持ちはいかばかりかと思う。
店じまいというと、東京・三田のフレンチ「コート・ドール」がこの2月末で幕を閉じる。「コート・ドール」は1985年創業で、斉須政雄シェフは長く日本のフレンチ界をけん引してきた巨匠である。斉須シェフは1950年生まれの75歳、この年齢で引退すると決めていたらしい。
昨年、まだ店じまいが「ここだけの話」だったところを、ある店の料理人がSNSにぶちまけてしまい、拡散。それ以来、店では問い合わせの電話が鳴りやまず、大混乱になったらしい。SNSで瞬時に情報が拡散する時代に、人気店の店じまいというのはなかなか難しいものだ。
私は1987年に「コート・ドール」を訪問し、21歳にして初めてフランス料理なるものを食した。当時、すぐ近くに下宿していた日沖青年は、1階に「コート・ドール」がある三田ハウスに住む資産家のお子様の家庭教師をしていて、その資産家から「コート・ドール」にご招待いただいた(ちなみに三田ハウスは、日本初の億ション。館内でザ・デストロイヤーや石川秀美など有名人とよく遭遇した)。
それ以来、今日まで「コート・ドール」には20回くらい通っている。平均すると2年に1回程度なので、常連というほどではない。ただ、色々な意味で私のこれまでの人生の中で最も印象に残っている店である。
さて、こういう自分にとって想い出の店やお気に入りの店が店じまいすると分かったら、皆さんはどう振舞うか。「サンロード」や「コート・ドール」のように、最後に店をもう1回訪問するというのが、多くの人が取る行動だろう。
私は、店じまいすると分かったら、もうその店には行かない。「サンロード」の行列には並ばなかったし、「コート・ドール」にも行かない。「高齢のシェフやお店を気遣って」というのもあるが、別れ話を持ち出された彼女に「最後にもう1回だけ…」と懇願するみたいで、私の美学に反するからだ(美学を語っている割に下品な例えで失礼)。
では、何もしないかと言うと、そうではない。店じまいの正確な日時を調べておいて、その時間になったら手を合わせて「ご馳走様でした」と言い、ワイングラスあるいはお猪口を傾けている…(やっぱり美学は大切だ)。
他人のすることなので、店じまいが決まった店に「行くな」とは言わない。ただ、店主が高齢で店じまいするという場合には、一定の配慮をしたいものだ。また、お店に行って「最後にもう1回食えて大満足!」ではなく、感謝の言葉とともに花束くらいは手渡したいものである。
(2025年2月3日、日沖健)