“年収の壁”騒動で残念に思うこと

昨年9月に勃発した“年収の壁”騒動。色々と言いたいことがあるのだが、一点だけ「106万円の壁」について触れておきたい。

現在、学生・フリーターや専業主婦が週20時間以上勤務し、年収が106万円を超えると厚生年金保険や健康保険に加入する必要がある。厚生年金保険や健康保険に加入すると、給料から保険料が差し引かれ、手取りが減るので、「106万円の壁」と言われる。

今回の制度改正で、このうち年収の基準が廃止され、週20時間以上働くすべての労働者が厚生年金保険に加入することになる。

SNSやネット掲示板を見ると、フリーターや専業主婦から、「いま103万円の壁とか手取りの給料を増やす議論をしているのに、手取りを減らすとは何事だ!」という怒りの声が上がっている。しかし、この批判はいかがなものだろうか。

“年収の壁”を巡っては、税のことと社会保険のことがごっちゃに議論されている。そして、国民の関心は「目先の手取り額」に、政府の関心は「働き控えの解消による労働供給の増加」に向かっている。

税金は払いっぱなしなので、「目先の手取り額」はたしかに重要だ。しかし、社会保険は保険料を払いっぱなしでなく、将来、給付を受けられる。社会保険の議論では、目先の保険料の支払いと将来の給付を総合的に考えなくてはいけない。

社会保険に加入すると、労働者は社会保険料を毎月払うが、事業主も同じ額を上乗せして支払ってくれる。そのため年金受給が始まったら、月6万円足らずしか受け取れない国民年金と違って、手厚い保障を受けられる。厚生年金とセットで加入する健康保険も、国民健康保険とは段違いに手厚い。

つまり、「106万円の壁」でたしかに「目先の手取り額」は減るが、人生トータルで見ると厚生年金に加入する方がはるかにプラスになるということだ。

日本には2023年現在2,124万人の非正規労働者がいて、国民年金にしか加入していないという人が多い(国民年金を滞納しているケースも多い)。いまは親元で何とか生活できているフリーターも、自分が年を取り、親がいなくなったら、月6万円足らずの国民年金だけでは老後破産してしまうだろう。

わが国では1990年代後半の就職氷河期に、大量の非正規労働者が生まれた。その非正規労働者が高齢者になる2030年代後半以降、いまのままだと老後破産が大量発生することが確実だ。この悲劇を少しでも減らすためには、厚生年金への加入を促すことが大切で、今回の制度改正は実に的を射たものである(企業の負担増をどう考えるかなど残された課題は多いが)。

ところで、あるネット掲示板で、「俺が年寄りなる頃、年金なんて崩壊してるでしょ。やっぱり年金って払うだけ損」という意見を目にした。たしかにこの30年以上、年金制度改革で迷走を続けてきた国にとっては、耳が痛い指摘である。

国には、「年金は100年安心です」「厚生年金に入った方がお得ですよ」とアピールするだけでなく、まず国民の信頼を取り戻すための抜本的な年金制度改革を期待したいものである。

 

(2025年1月20日、日沖健)