古い話で恐縮だが、1997年にアメリカのMBAに入学した翌日のオリエンテーションで、算数の小テストがあった。電卓は使用不可だった。
小学校高学年レベルの問題だったので、私を含む日本出身の5人は10分程度で早々に解答し終えた。次いでインド人、ドイツ人、台湾人、韓国人…と解答し終えた。アメリカ人はうんうんと唸って格闘していたが、制限時間内に解答できない者が多かった。
終了後、アメリカ人のデビッドに「ずいぶんslowだったじゃないか」と声をかけた。するとデビッドは、「アメリカでは小さい頃から授業で電卓を使うから、こんな手計算をやった記憶がない。どうしてMBAでこんなことをさせるのか、まったく意味不明だ」とブツブツ言っていた。
続けてデビッドが言った次の捨て台詞が、今も印象に残っている。「日本人はこういう計算が得意だから、コンピュータを必要としなかった。アメリカ人は計算が苦手だからコンピュータが必要で、結果的にコンピュータを発明することができたんだ」
コンピュータを発明したのはチャールズ・バベッジというイギリス人で、アメリカ人が発明したというのは間違いだ。ただ、コンピュータを飛躍的に発達・普及させたのはアメリカ人で、その背景に計算が苦手というアメリカ人の特性があったというデビッドの見解は、なかなか説得力がある。
似たような話が、複式簿記の発明だ。ある会計学者によると、ヴェニスの商人が15世紀に複式簿記を発明したのは、イタリア人は計算が苦手なので、計算力が低くても簡単に商取引を記録できるような仕組みを必要としたためである。
一方、日本の商家では、大福帳で掛け売りの回収を把握するという雑なやり方をしていた。いわゆる“どんぶり勘定”だったが、日本の商人は計算能力が高かったので、つつがなく管理することができた。そのため、複式簿記のような便利な仕組みを必要としなかった(一部に複式簿記を導入した商家もあったようだが)。
つまり、計算が苦手なアメリカ人・イタリア人は、計算能力を高めることを諦め、手計算を不要にする機械や仕組みを考えた。一方、日本人は、古くは寺小屋、現代では小中学校・公文式などで計算力を高めることに注力し、機械や仕組みの開発には取り組まなかった。日本人の能力の高さが、イノベーションを阻害してしまったと言えそうだ。
日本人の能力の高さというと、もう1つ、手先の器用さなど機械技術がある。
黒船で日本にやってきたペリーは、短い滞在期間で日本人の「精巧さと緻密さ」を見抜き、「将来の機械工業の成功を目指す(国際的な)競争に加わるだろう」と予測した(『ペリー提督日本遠征記』)。その後わが国は、ペリーの予測通り、機械工業を中心に150年以上に渡って発展した。
これは大いに誇るべきことだが、いま産業界には激変が起きている。「ものづくり日本」を象徴する自動車で、日産が倒産の瀬戸際に追い込まれ、盟主トヨタも米テスラや中国BVDにきりきり舞いしている。
自動車など日本の製造業は、「日本人にしかできないものづくり」を目指して、従業員の教育訓練や現場の改善で機械技術を洗練させた。このものづくりに対する過度なこだわりが、グローバル化や製造工程のロボット化・AI化といった最近の変化への対応を妨げ、機械技術で劣るアメリカ・中国の台頭を許してしまった。
自社の強みは何なのか、その強みは長期的に自社を発展させるものなのか、今後ゲームチェンジが起こるのか。変革期にある日本企業が真剣に考えたいことである。
(2025年1月6日、日沖健)