中小企業であり続けることは恥

渥美俊一著『フードサービス業チェーン化入門』を読んだ。渥美俊一といっても若い方はご存知ないかもしれないが、チェーンストア理論でダイエー・イトーヨーカ堂・マクドナルドなどをビッグビジネスに育てた、日本屈指のコンサルタントである。

この本の初版は2009年。翌2010年に渥美は逝去しているので、最後の著作ということになろうか。渥美のチェーンストア理論のエッセンスが詰まった力作だが、特に考えさせられたのが次の一節だ。

「いま中小であることを恥じることはない。しかし、中小企業のままで10年、20年過ごすことは恥だと思わねばならない。お客に来てもらえないということは、それだけのご利益を提供していないからである。その状態を10年、20年続けることは、ビジネスとして意味がないのだ。それを続けるのは無駄な人生だと思え」

 トヨタも、ソニーも、アップルも、最初は零細企業だ。製品・サービスを生み出し、身近なニーズを獲得し、事業が軌道に乗る。その製品・サービスが顧客にとって価値があったら、身近なところだけでなく、ニーズが大きく広がる。売上高が増えて、あっという間に中小企業を卒業する。

逆に、製品・サービスに価値がなかったら、最初は義理や物珍しさで買ってくれても、顧客が広がらない。いつまで経っても中小企業のままだ。中小企業であり続けるのは、ニーズがない=世の中に必要ない、ということで、大いに恥ずべきことであるというわけだ。

ここで、私の知り合いの2人の経営者を思い起こした。

X社長は、居酒屋を経営している。1店舗目が大繁盛し、矢継ぎ早に出店し、現在7店舗を運営している。先日お会いしたら「注文も決済もすべてモバイルでやる若者向けの新業態店舗を作ろうと考えています」「ここで地盤を固めていずれは上場します」と意欲を見せていた。

Y社長は、電子部品メーカーを経営している。2000年以降、従業員は80名前後、売上高20億円前後で変わらない。高品質で顧客からの評判は良く、設備・人員を増やせば売上高を増やせそうだが、Y社長は「これ以上事業が大きくなると社員を管理できない。社員が一体になって生き生きと仕事をしてもらうには、この規模がちょうどいい」と言う。

もし渥美俊一が生きていたら、X社長には「よし、その心意気だ。頑張れ」と激励し、Y社長には「企業経営している意味がない。恥ずかしくないのか」と一喝するだろう。

ただ、世間では、Y社長に共感する意見が多いのではないだろうか。「人を大切にするY社長の姿勢は素晴らしい」「経営には色々な目的があって良い。たくさんの顧客に喜んでもらおうというX社長も、従業員を大切にするY社長も素晴らしい」。ということで、日本人によくある「どっちもどっち」「答えは色々」という結論になりそうだ。

ところで、私は2002年に独立し、コンサルティング事務所を開業した。数年してビジネスが軌道に乗った頃、コンサルタントや事務員を雇って「ヒオキンゼー」を目指そうか迷ったが、結果として22年に渡って零細な個人事業主をしている。

もし渥美が生きていて私のことを知ったら、「コンサルタントしている意味がない。恥ずかしくないのか」と一喝するだろう。私を含めて多くのコンサルタントは、渥美の言葉をどう受け止めるべきだろうか。真摯に考えたいものである。

 

(2024年4月15日、日沖健)