診断士の飲み会は素晴らしい!

先日、中小企業診断士の仲間3人で、今年92歳で亡くなられた共通の恩師・田口研介先生のご焼香に伺った。その帰りがけ、居酒屋に寄って3人で軽く飲んだ。短時間の他愛もない飲み会だったが、実に楽しかった。そして、飲み会のあり方や診断士の価値について、考えさせられた。

その診断士仲間および田口先生とは、28年に渡るお付き合いである。恩師のご焼香の後なので、飲み会ではしんみりと昔話に花が咲いた…。ということはまったくなかった。

田口先生は、かつて安宅産業で紙パルプ部門の部長をしていたが、会社が倒産するという憂き目にあった。総合商社の部長なら取引先を頼って再就職することも可能だったが、「部下をリストラしておいて自分だけが再就職するわけにはいかない」とコンサルタントとして独立開業した気骨の人である。以来、田口先生は、後ろを振り返らず、前を向いて走り続けた(東洋経済オンライン「人が最期に残すべきは財・事業・人だけなのか」)。

という田口先生からの薫陶を長く受けてきたせいか、その飲み会では昔話はなく、3人がそれぞれの将来について話した。3人とも会社員を辞めてコンサルタントとして活動しており、「人生三毛作目でこれからやってみたいこと」を披露し、話し合った。

今回の飲み会だけでなく、診断士の飲み会は、そのほかの飲み会と大きく違う。

学校時代の友人や会社勤務時代の関係者との飲み会にたまに参加することがある。この年齢(58歳)になると、同年代の友人・関係者の多くは、まだ会社に勤めているものの、役職を降り、ご隠居モードである。そのため飲み会では、圧倒的に昔話が多い。現在・未来のことだと、健康の不安、老後の不安といった話題が中心だ。

それに対し、診断士の飲み会では、「現在こういう仕事に取り組んでいる」「将来こういうことをやってみたい」と現在および将来について話す。

たまに「俺は(今でこそお前らと同じ立場だが)銀行時代は支店長だった。年収は〇〇万円で、大きな権限を持っていた」などと古い自慢話をする診断士もいる。ただ、そういう人は一緒に飲んでも面白くないので、すぐに飲み会に声がかからなくなる。

昔話も心が休まり楽しいので、友人や関係者との飲み会を否定するつもりは毛頭ない。しかし、この年齢で将来の希望を忌憚なく話し合えるという診断士の飲み会は、本当にありがたい。

よく、診断士の後輩や受験を希望する方から、「診断士を取っても仕事がない。診断士の資格には価値はない」と言われる。たしかに、「診断士を取っても仕事がない」という前半の部分はその通りだが、「診断士の資格には価値はない」という後半の部分にはちょっと承服しかねる。

診断士を取得しなれば、田口先生や今回の診断士仲間のような素晴らしい人と出会うことはなかった。今回のような楽しい飲み会に参加することもなかった。結局、診断士という資格は、素晴らしい人と出会い、楽しい飲み会に参加するためのパスポートということになる。

ここまで読んで、「え、その程度の価値なの?」「異業種交流パーティーに参加するのと何が違うの?」と思われた方が多いかもしれない。そういう方は、診断士は取得にも資格維持にも労力・コストがかかるので、診断士のことを忘れた方が賢明だ。

 

(2023年12月4日、日沖健)