コンサルタント(中小企業診断士)という看板を掲げていると、色々な方から色々な相談をいただく。ここでコンサルタントにとって気になるのが、その相談が金になるか、ならないか、である。
「金にならない相談」をよくいただく。たとえば、知り合いの経営者から「日沖さんは石油会社出身だったよね。今後のガソリン価格についてちょっと見解を聞かせてよ」とか言われる場合だ。
相手の話を少し聞いたり、少し意見を述べたりするくらいで、知り合いから報酬をいただくわけにはいかない。仕事というより、人付き合いだと思って割り切っている。
それよりも悩ましいのは、最近急増している廃業の相談だ。私はホームページなどで「廃業の相談に乗ります」と謳っているわけでなく、昨年まで廃業の相談は年1件あるかないかだった。ところが、今年になって、コロナ禍のゼロゼロ融資の返済が本格的に始まったことを受けて、月1件以上のペースで相談をいただいている。
廃業相談に来る会社は、たいてい後継者不在で、経営状態が悪化し、借金が資産を上回っている。こういう場合、廃業して資産を処分したら借金だけが残り、経営者には、自殺して保険金で借金を返す、自己破産する、夜逃げする、というくらいしか選択肢が残っていない。相談者は「何とか借金から逃れる方法はありませんか?」と藁をもすがる気持ちで相談してくる。
しかし、借金を誰かに押し付けて自分だけ無傷で生き延びるというウルトラCがあるはずもない(法的に危ない橋を渡るなら別)。私は自殺・自己破産・夜逃げといった選択肢を淡々と説明する。すると相談者は「やっぱりだめですか…」と打ちひしがれて帰っていく。もちろん、そういう方から相談料をいただくわけにはいかない。危機から脱出できなかった相談者も、お役に立てなかった私も、モヤモヤが残る。
同僚などから、「金にならない、モヤモヤするだけの相談なんて、断れば良いのに」と言われる。しかし、私は時間が許す限り相談に応じている。私のような冷酷で金にうるさい人間でも、困っている人がいたら助けたいという気持ちがあるようだ。
一方、「かなり金になる相談」もある。たとえば、大手企業の中期経営計画や新規事業開発のプロジェクトに呼ばれてアドバイスをすると、数日間の稼働で数百万円という報酬になる。
では、こうした「かなり金になる相談」が価値の高い仕事かというと、そうでもない。大手企業には優秀な人材が多く、プライドも高いので、私のアドバイスを聞いて「そんなことわかっているよ」という顔をしている。結局、「ちゃんと外部の人間の意見を聞いて話を進めました」という社内的なエクスキューズを得るために、高い報酬を払ってくれているのだろう。
このように、「金にならない相談」も「かなり金になる相談」も、相談者にとって気休めくらいしか価値がなく、「相談して時間の無駄だった」ということである。
私は廃業しようかという劣悪な企業と一流の大手企業という両極端なところから相談を受けているので、こういうことが起こっているのであって、両者の中間では、相談にはそれなりの価値があるのだろうか。ともあれ、相談(コンサルティング)の価値について大いに考えさせられる。
(2023年9月11日、日沖健)