残酷な給料格差

先日のダイヤモンド・オンラインに「大企業の部長は平均年収1193万円、平社員525万円知られざる「給料残酷格差」の全貌」という記事が掲載されていた。

その記事は冒頭、経済産業省が2022年に公表した報告書「未来人材ビジョン」の「米国やシンガポールの部長の年収は約3000万円、タイは約2000万円に対し、日本の部長は1700万円程度にとどまる」という指摘を紹介していた。なので、てっきり日本と諸外国の給料格差を分析するのかと思いきや、日本国内の大企業と中小企業、業種間の給料格差の大きさを「残酷だ」と指摘する内容だった。

国内の大企業と中小企業、業種間の年収格差は、「残酷」と騒ぐほど大きいのだろうか。

大企業と中小企業では、規模の経済の有無があり、生産性が大きく違う。業種ごとでも、資本集約型か労働集約型かで、生産性が大きく違う。また、給与水準は生産性によって決まる。よって大企業と中小企業、業種間で、給与水準が大きく異なる。これは、良い悪いは別にして、半世紀前から言われている常識で、日本だけでなく世界中で観察されている。

記事を書いたダイヤモンド編集部の記者は、初歩的な常識を取り上げて、いったい何を読者に伝えたかったのか。おそらく、「給料格差」というテーマならページビューが稼げる、というくらいの軽い気持ちだったのだろう。

今回、個人的には別の給料格差に啞然とした。それはタイトルの、大企業の部長と平社員と給料格差がたった2.27倍(=1193万円÷525万円)しかないという事実である。

大企業の部長と言えば、受験・就活・出世という「人生の3大競争」(私が勝手に名付けた)を勝ち抜いた、一握りの「エリート」である。一方、平社員は、右も左もわからない新人、窓際族、補助的な業務を担う一般職、短時間勤務者などを含んでいる。言い方は悪いが、「その他大勢」だ。

「エリート」の部長と「その他大勢」の平社員がたった2.27倍しか給料が違わないというのは、悪平等ではないか。生産性(=会社への貢献)の違いを考えると、平社員が525万円なら、部長は5000万円以上あっても不思議ではない。経済産業省の報告書の通り、日本では部長の給料は安すぎる。部長にとってあまりに残酷な給料格差(の小ささ)だ。

なぜ日本では部長の給料は激安なのか。「日本語の壁」によるところが大きいと思う。

アメリカの経営学者ロバート・カッツによると、ロワー・一般(その他大勢)にとってはテクニカルスキルが重要で、コミュニケーションスキルはさほど必要ない。それに対し、ミドル(部長)には高度なコミュニケーションスキルが必要とされる。

「その他大勢」の仕事、とくに単純労働は、最低限のマニュアルが読めれば対応できる。単純労働者は、世界中どこでも仕事ができるので、世界的な労働移動が起こる。。日本にも外国人の単純労働者がやって来ている通りだ。一方、「部長」の仕事は、高度な対人コミュニケーションが要求される。そのため、部長は、普遍的な言語を使う国(英語圏)へは移動するが、特殊な言語を使う地域(日本)へは移動しない。

仮に日本企業が部長の給料を上げても、海外の優秀な人材が応募してくることはない。また、低い給料水準でも「平社員よりはマシ」と部長をやってくれる日本人社員はたくさんいるので、給料を上げる必要がない。これが日本の部長の給料が激安な理由である。

ここで、日本企業の経営者が、激安の給料で日本人の部長を雇えて「しめしめ」と思っているなら、危険な考え方だ。最近、東大・京大などトップ校では、外資系コンサルティング会社が学生の一番人気だ。起業に挑戦する学生も増えている。日本企業は、世界からも国内からも優秀な人材から見向きもされない、「B級以下の人材のたまり場」になりつつある。

B級以下の人材は、給料も安いが生産性も低い。「安かろう悪かろう」である。そのため、世界中から高給で一流人材を集めて武装した企業(GAFAMが典型)との戦いに敗れてしまう。低賃金は、目先の利益を確保するには有効だが、長い目で見て決してプラスにならないのだ。

日本企業は、英語を社内公用語にし、世界中から高賃金で優秀な人材を集めるべきである。「日本語の壁」を取っ払うのは、日本企業に課せられた大きな課題である。

 

(2023年5月29日、日沖健)