教育勅語を学び直してみた

先日、明治神宮国際神道文化研究所・打越孝明主任研究員の「教育勅語について考える」という講義を聴く機会があった。さらに、講義で紹介されていた参考文献を3冊読んで、教育勅語について学び直してみた。

教育勅語は、明治憲法発布の翌年(1890年)に明治天皇の勅語として発布された、教育の基本理念である。戦前は学校教育の現場で使われたが、「神話的国体観」「主権在君」を標榜する教育勅語は「民主平和国家」「主権在民」を標榜する日本国憲法に違反しているとして、1948年に衆参両院の決議で廃止された。しかし、その後も今日に至るまで、教育勅語の復活を求める右派と復活に反対する左派との間で、対立が続いている。

今回の学び直しで、教育勅語に対する様々な誤解が解けた。とくに、12の徳目の中で争点になっている「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(万一危急の大事が起ったら、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家のために尽くせ)」という箇所は、「天皇のために戦え」という意味ではなく、「災害などを含めて一大事には力を合わせて国家のために頑張ろう」という明治天皇の呼びかけであると知った。

教育勅語というと、今日「軍国主義教育の象徴」とされており、恥ずかしながら私もその程度の認識だった。しかし、今回、教育勅語が日本の伝統的価値と世界の普遍的価値を融合させた素晴らしい教育理念であると、認識を大いに改めた。

ただ、教育勅語を現代の教育現場に復活させようという動きは、いかがなものだろうか。推進派のロジックは概ね、①教育理念はその国の伝統的な価値観に基づくべきである、②教育勅語には日本の伝統的価値が見事に集約されている(しかも世界の普遍的価値とも融合している)、③これほど完成度の高い教育理念は他に見当たらない、④よって教育の現場で復活させよう、というところだ。

仮に①②③が全面的に正しいとしても(反対意見も強いが)、④教育現場での復活は控えるべきだと個人的には思う。どうしても感情的な言い争いになりやすいテーマなので、少し教育勅語を離れて、「リストラ」という経営技法を例に上げて考えてみよう。

「リストラ」は「リストラクチャリング(restructuring)」の略で、1980年代にアメリカで登場した。当時アメリカでは、日本企業との競争に敗れて、多くの企業が事業の構造(structure)を変革する必要に迫られていた。「リストラクチャリング」の過程で従業員の首切りが行われたが、あくまでも主眼は事業構造の再構築であった。

今日、日本で「リストラ」というと、従業員の首切りを意味する。バブル崩壊後の1990年代から日本企業が「リストラクチャリング」に取り組むようになったとき、首切りの面だけがマスコミで強調され、「リストラ=首切り」として定着した。完全な誤用である。

ただ、誤用とわかっていても、企業が事業構造の再構築に取り組むとき、敢えて「リストラクチャリング」を「当時の時代背景や本来の意味を理解し、もう一度正しく使おう」とはならない。国が事業の再構築に取り組む中小企業を支援するための補助金を「リストラ補助金」と名付けて導入したら、国民は猛反発するに違いない。実際「事業再構築補助金」が2021年に導入されたように、別の新しい用語を考えるのが普通だ。

教育勅語も、「リストラクチャリング」と同じく誤解されている。これは明治天皇のせいではなく、内村鑑三事件など数々の不敬事件や殉職事件を生んだ通り、天皇主権・軍国主義を徹底するために歪んだ形で教育勅語を国民に強制した戦前の政府・軍・マスコミなどの責任だ。せっかくの崇高な教育勅語が歪められてしまったのは、不幸なことだ。

ただし、今、現実に教育勅語が「軍国主義教育の象徴」となっている以上、それを敢えて復活させることは、反対派との無用な軋轢を生むだけだ。よって教育勅語を復活させるのは、得策ではない。教育勅語に代わるものが他にない(③)というなら、知恵を出し合って、新しい時代に合った新しい教育理念を作るべきだ。

新しい教育理念を作ろうとせず、教育勅語の復活を目指すのは、「明治時代のような天皇中心の国家に戻りたい」という別の意図を疑わざるをえないのである。

 

(2023年5月1日、日沖健)