安岡正篤を30年ぶりに読んでみた

先週、知人から神渡良平著『安岡正篤 人間学』という本をいただいたので、少し読んでみた。安岡正篤(やすおかまさひろ)の無数の著作から名言・名文を厳選し、解説した本である。私が安岡正篤の文章を読むのは、実に30年ぶりである。

安岡正篤といっても若い方はご存知ないだろうが、昭和の東洋哲学者で、吉田茂・佐藤栄作・池田勇人・中曾根康弘ら歴代の宰相が師と仰いだ偉人である。終戦時の玉音放送の原稿を推敲したことでも知られる(「平成」の考案者とされるが、これは事実に反する)。

私は、学生の頃から安岡のファンで、『人物を創る』『活眼活学』など代表作を貪り読んだ。しかし、あるきっかけでぱったりと読まなくなった。

きっかけとは、安岡と占い師・タレント細木数子とのトラブルを知ったことである。晩年安岡は、銀座のクラブのママをしていた細木と恋仲になり、同居した。当時安岡85歳、細木45歳。細木は安岡に迫って結婚誓約書を書かせ、勝手に婚姻届を提出した。細木の狙いは、安岡の遺産だった。安岡は認知症だったようで、86歳で亡くなった後、遺族の申し立てで婚姻の取り消しが認められた。

この件を知って、私は「いい歳した爺さんが女に溺れて裁判沙汰になるって、ええ加減にせいよ!」と思った。尊敬する安岡がつまらない人間だったと知って、私の安岡熱は一気に冷めた。安岡に「裏切られた」という思いは強く、安岡だけでなく、哲学書や偉人が書いた人生訓の類を読まなくなった。

今回、「そろそろ時効かな」と思って30年ぶりに読んだのだが、やはりダメだった。安岡の「省みて自ら恐れ、自ら慎み、自ら諫めていく」といった名言を読んでも、細木とのトラブルを思い起こすと何だか空々しく感じられ、50ページくらい読んだところでギブアップしてしまった。私は意外と執念深い性格のようだ。

安岡正篤の件ほどではないが、良いと思っていた人の悪い面が見えてガッカリすることがある。清廉な経営者だと思っていたら、実は補助金を不正受給をしていた。博愛主義の人だと思っていたら、実は好き嫌いが激しかった。気前が良い人だと思っていたら、実は割り勘をちょろまかすセコい人だった。

逆に、悪いと思っていた人が実は良い人だと知り、感激することもある。浅いことばかり言うヤツだと思っていたら、実は深いことを考えていた。金にうるさくてセコいヤツだと思っていたら、昼飯をおごってくれた。自己中心的なヤツだと思っていたら、近所の子供の面倒を見ていた。

日本で最高の人格者と言われた安岡正篤も完ぺきではなかったし、悪いところばかりという根っからの悪党もいないだろう。人と接するとき、「こいつは良いぞ」と思っても「こいつはアカン」と思っても、過信しないことが大切だ。

自分自身についても同じことが言える。自分も良いところと悪いところがあるわけだから、「俺ってサイコーに素晴らしい人間だ」とも「俺ってダメ人間だ」とも思わず、謙虚に自分自身を見つめる方が良い。

まずは、安岡正篤を完璧な人間だと信じ、細木数子とのトラブルを知って「裏切られた」と思った偏狭な自分を恥じて、もう一度安岡の本を読んでみたいと思う。

 

(2022年11月7日、日沖健)