品のある会社、品のない会社

立憲民主党の蓮舫参院議員が99日付ツイッターで、27日に実施される安倍晋三元首相「国葬」の案内状の写真をアップし、「欠席します」と宣言した。この投稿に対して、「欠席は自由だが、わざわざ写真を載せる必要があるのか。品がない」という批判が集まっている。国葬への賛否は別にして、蓮舫議員の今回の行動が「品がない」という指摘は、その通りだと思う。

ところで、「品がない」とは、どういうことだろうか。辞書を引くと「人格や振る舞いが洗練されておらずみっともない有様」と書いてある。「みっともない」というのは、他人が見て感じ取ることだ。品があるないは、他人にどう見られているかを気にするか、気にしないかという違いであろう。

私はコンサルタントとしてこれまで数多くの経営者とお会いしてきた。パリッとスーツを着こなす品のある経営者が多いのだが、たまに飲みながらゲップをする品のない経営者もいる。経営者だけでなく従業員のレベルでも、研修で1時間もご一緒すれば品があるかないか、はっきりわかる。

企業経営において、経営者・従業員の品のあるなしは、どこまで大切だろうか。

品がある会社は、ビジネスチャンスがあっても、パッと飛びついて「あの会社はガツガツしているな」と軽蔑されたくないと考える。肝心なところで躊躇し、せっかくのビジネスチャンスを逃すので、あまり成長できない。ただし、チャンスはリスクを伴うので、失敗して経営が揺らぐこともない。よって、安定性は高い。

品のない会社はその逆だ。他人の目を気にせず、ガツガツとビジネスチャンスに食らいつくので、一気に成長することができる。ただ、成功は長続きするとは限らないので、ちょっとしたつまづきで急失速することがある。

成長性と安定性は表裏一体の関係にあり、品があるのとないので、どちらが良いとは判断しにくい。ただし、すっかり停滞した日本経済にいま求められているのは、周囲の目などお構いなしにガツガツと新分野に挑戦する、下品な会社であろう。

戦後、焼け野原から再スタートを切った日本企業は、生きて行くためにガツガツと下品に挑戦を続けた。ところが、高度成長期を経て日本が豊かになると、ガツガツしなくても生きて行くことができるようになり、品の良さを重んじるようになった。企業経営は安定したが、活力は失われてしまった。

1990年代以降、中国・韓国といった(日本の基準では)下品な国が台頭してくると、「武家の商法」の日本企業は、劣勢に追い込まれた。という平成の30年が続き、いまや多くの企業は生き残りのためには、上品だ下品だと言っていられない窮地に立たされている。

ROE15%以上で、従業員に平均2,000万円以上の給料を払っている会社なら、「下品なことをしてまで儲けたくない」と言って差し支えない。しかし、そうでないなら、中国・韓国や欧米の企業がガムシャラに(下品に)頑張っている以上、負けないように頑張る必要があるのではないだろうか。品の良さを重んじる経営者・従業員が多いのは、困ったことである。

ところで、政治の世界には、蓮舫議員のみならず、二階俊博元幹事長や森喜朗元首相など下品な政治家がたくさんいる。昭和の時代よりも政治家が下品になっている印象だが、ガツガツと新しいことに挑戦する気配はなく、ただただ下品なだけだ。政治の世界は、上品でも下品でもあまり関係ないということだろうか。

 

(2022年9月19日、日沖健)