転勤廃止の動きを危惧する

いま、日本の大手企業で社員の転勤を廃止する動きが広がっている。昨年、7万人の従業員を抱えるNTTが転勤廃止を打ち出した。他にもJTB・富士通など多くの企業が転勤廃止に動いている。

この動きは、夫婦共働きの増加で転勤が社員の家庭生活に重大な悪影響を及ぼしていることに対処するものだが、加えてジョブ型雇用の普及も影響している。ジョブ型雇用では職務と勤務地を明確に決めることから、ジョブ型雇用への転換に合わせて転勤廃止に踏み切る企業が今後も増えそうだ。

NTTの澤田純社長が転勤を「昭和の悪弊」と敵視したように、この1年ほどですっかり「転勤=悪」というイメージになった。しかし、転勤には大きなメリットがあることも忘れてはならない。企業は、不正防止、マンネリ防止、など色々な理由で転勤を行っているのだが、最も注目したいのは人材育成の機能である。

私事で恐縮だが、私は東京の大学を出て、日本石油(現・ENEOS)に入社し、最初大阪支店に配属された。その後、東京の本社に転勤し、アメリカの社費留学、シンガポール駐在、さらに本社勤務を経験した。大阪で現場を知り、本社で経営意思決定に触れ、海外で視野を広げたことが、現在のコンサルティングの仕事で役立っている。転勤という素晴らしい成長機会を与えてくれた前職には、感謝の言葉しかない。

よく「ジョブ型雇用のアメリカでは転勤がない」と言われるが、これは正確ではない。たしかに、一般従業員は、会社を辞めない限り決められた場所でずっと同じ仕事をし続ける。しかし、上級マネジャー以上や幹部候補生は、会社命令で世界中どこにでも転勤し、経験・スキルを広げている。

経営者・幹部がマネジメント活動をする上で、広い視野と社内の仕事・人についての現場感覚を持つことが欠かせない。この両方を育てるには、転勤は研修などよりも優れた方法である。だから、世界中の企業が転勤を重視しているわけで、ジョブ型=転勤廃止という流れに傾きつつある日本は、危険だ。

もちろん、転勤は従業員とその家族に困難を強いるし、企業にはコストがかかる。広い視野や他部門の業務知識をさほど必要としない一般従業員については、転勤をしない方が良い。とくに単身赴任は、従業員の家庭を破壊する危険性が高く、法的に規制するべきだと思う。

要は、エリート層と一般従業員で転勤のあるなしを決め、役職・給与などを分けることだ。アメリカのように、エリート層は、転勤を繰り返し、どんどん昇進・昇給していく、一般従業員は転勤せず、昇進・昇給しない、という仕組みにすると良いだろう。

ここで気になるのは、転勤廃止を打ち出した“先進企業”の多くが、転勤してもしなくても役職・給与に差を付けないという運用にしていることだ。もちろん、何でもアメリカのやり方を真似る必要はないのだが、こうした日本的な悪平等は、優秀な人材にとって馬鹿馬鹿しい。優秀な人材は、転勤で成長でき、給料も高い他社にさっさと転職するだろう。

日本は、一般従業員の能力は高いが、エリート育成を怠ってきた結果、深刻なリーダー不足である。転勤してもしなくても給与・役職が変わらないという「日本型の転勤廃止」によって、リーダー不足がますます深刻化すると危惧されるのである。

 

(2022年9月5日、日沖健)