経営者と従業員の距離

今月、私にとって身近な経営者二人が明確な理由なく退任した。

一人は、ENEOSホールディングスの杉森務会長。杉森会長は8月10日「一身上の都合」として突如辞表を提出した。杉森会長は、私がENEOSの前身の日本石油に1988年に入社した時の新人教育担当者で、社会人の基本を教えていただいた恩人である。

もう一人は、都内の中堅メーカーN社の長島賢吾社長(仮名)。長島社長は、8月中旬、とくに理由を明らかにせず、退任した。長島社長は私のクライアントで、15年前に知り合ってから、ずっと懇意にさせていただいている。

さすがに直接二人に退任理由を聞けないので、ENEOSN社の従業員・OB数名に尋ねてみた。いずれも「わからない」という答えだったが、ここで興味深かったのは、ENEOSN社では、経営者の呼び方がまったく違っていたことだ。

ENEOSの従業員・OBは、私も含めて全員が「杉森さん」と呼んでいた。それに対し、N社の従業員は、全員が「長島社長」と呼んでいた。

ENEOSの従業員・OBにとって私は身内で、N社にとって私は部外者だからだろうか。それもあるだろうが、従業員同士の日常会話でも、ENEOSの従業員が「杉森会長」、N社の従業員が「長島さん」と呼ぶのを聞いたことがない。

これは、大企業と中堅オーナー企業では、経営者と従業員の“距離”が根本的に違うことを物語っている。

大企業では、従業員が数千人・数万人いるし、事業所が各地に分散しているので、大半の従業員は経営者の顔を年1回見るか見ないかである。経営者と従業員の物理的な距離は大きい。しかし、経営者と言っても、同じような大学を出て、一緒に新入社員として入社し、苦労を共にしてきた同僚だ。たまたまその中で最も偉くなったものの、「自分と同類」ということで、心理的な距離は小さい(ない)。仲間なので「さん」で呼ぶ。

一方、中堅オーナー企業では、従業員も事業所も少なく、従業員と経営者は同じ空間で過ごす。物理的な距離は小さい(ない)。しかし、オーナー企業の経営者は、裕福な家に生まれ、苦労なく育ち、経営者になることが運命づけられ、会社では下働きせず、あっという間に役職が上がっていく。従業員から見ると、「世界が違う別の人種」ということで、心理的な距離は大きい。別人種なのでよそよそしく役職で呼ぶ。

企業経営において、経営者と従業員の距離は極めて大切だ。経営者が正しいビジョン・目標を示し、それに向かって経営者と従業員が一体となって突き進むとき、企業は最大のパワーを発揮する。経営者は、従業員との物理的・心理的な距離を縮めるよう努める必要がある。

大企業の経営者は、従業員との物理的な距離を縮めたい。最低年1回、できれば毎月、全従業員と1対1で対話すると良い。1人10分でもいい。「そんなの体がいくあっても足りないよ」というなら、会社を多数のグループ会社に分割し、グループ会社社長に権限移譲し、従業員にとって「わが社の社長=グループ会社社長」という状態にし、グループ会社社長に従業員と対話してもらうという手もある。

オーナー企業の社長は、従業員との心理的な距離を縮めたい。秘策はないが、①週1日一般従業員の立場で働く、②従業員と一緒に安手の居酒屋に行き、割り勘でゲロを吐くまで呑む、といったことを試してみてはどうだろう。

怖いのは、大企業の経営者が「従業員と物理的に距離があるって当然だろ」、オーナー企業の経営者が「従業員と人種が違うって当然だろ」と開き直ることだ。そういう経営者がいくら立派なビジョン・目標を語っても、「またなんか言ってるな」ということで従業員の心に響かず、組織全体が白けてしまう。

もし皆さんが勤務・関係する会社の経営者が「当然だろ」と開き直っているなら、この文章をプリントアウトして、そっと経営者の机の上に置いてみてはどうだろう。

                                     (2022年8月22日、日沖健)