他人の意見をどこまで聞くべきか

昨年10月に就任した岸田文雄首相は、他人の意見に耳を傾け、度々政策を変更してきた。総裁選の公約だった「18歳以下への10万円支給」は、国民の受けが悪いとみるやあっさり撤回した。「金融所得課税」も投資家の反発に会い、「引き続き議論したい」と事実上撤回した。看板の「新しい資本主義」でも、6月に公表した骨太方針では、それまで強調してした「分配」は影を潜め、財政支出などアベノミクスへの回帰を鮮明にした。

こうした岸田首相の政治姿勢に対しては、「確固たる信念、方針に欠けた優柔不断な朝令暮改」(立憲民主党・小川淳也議員)という批判がある一方、国民には「我々の意見を柔軟に取り入れてくれる」と人気だ。就任以来高い支持率をキープし、参院選で圧勝した。

ところが、参院選(710日)を境に、岸田首相の政治姿勢が大きく変化している。凶弾に倒れた安倍元首相の葬儀について、国民の意見を聞かずに早々に国葬を宣言し、国会での議論を待たず閣議決定した。7月から感染が急拡大しているコロナ対策では、まん延防止措置などの発令を求める一部の地方自治体・専門家・高齢者の声を無視し、早々に「行動制限をしない」と発表した。

安倍元首相の葬儀やコロナ対策に関する判断の是非はここでは論じないが、以前の岸田首相とは別人のような強引さだ。岸田首相の「聞く力」がさび付いてしまったのだろうか、それとも「聞く力」は参院選に勝つまでのカモフラージュだったのだろうか。いずれにせよ、向こう3年間は日本の舵取りを担う岸田首相の政治姿勢が注目されるところだ。

政治家だけでなく、経営者など人の上に立つ者(=リーダー)にとって、利害関係者の意見をどこまで取り入れるかは、難しい課題である。

経営者には、「事業によってこういう社会を実現したい」というビジョンがある。そして、どんなに優れた経営者でも1人ではビジョンを実現することはできないので、従業員・株主・顧客・仕入先・取引銀行といった利害関係者の協力を得る必要がある。

ここで、利害関係者の意見を柔軟に聞き入れると、協力を得やすくなる。ただ、利害関係者の意見は多種多様で自分のビジョンとは一致しないので、元々のビジョンを実現するのは難しくなる。

逆に、「インターネット財閥で時価総額世界一」を目指したホリエモンや「大ロシア帝国の復活」を目指すプーチン大統領のように、浮世離れした遠大なビジョンだと、利害関係者の協力を得にくくなる。やはりビジョンを実現できない。

となると、ビジョンが明確で、しかも利害関係者が「俺の考えとは違うけど、彼(彼女)のことを信じよう」と納得し付き従ってくれるのが、優れた経営者ということになる。そのためには、経営者は信用ある高い人間性を備え、自分のビジョンを利害関係者に丁寧に説明する必要がある。

ただし、大企業のサラリーマン社長や創業家出身の跡取り社長は、「たまたま社長になっちゃいました」「責任感で社長を引き受けました」ということで、大したビジョンを持っているわけではない。そういう経営者も会社を潰すわけにはいかないので、以前の岸田首相のように、利害関係者の意見をよく聞いてバランスよく経営するというのが現実的だ。

岸田首相に話を戻すと、参院選の前と後でどちらが「ホンモノの岸田首相」なのだろうか。個人的には、参院選前までの岸田首相は、世を忍ぶ仮の姿であって欲しい。参院選で大勝し、党内最大派閥の安倍派に国葬で大きな“貸し”を作って、盤石の体制を整えた今、日本の再生に向けて思い切った改革に取り組んでいただきたい。

 

(2022年7月25日、日沖健)