ラン活は日本のたかり文化の象徴

5月の連休はラン活(ランドセルを買う活動)のクライマックスだった。ラン活は年々過熱・早期化しており、子供が幼稚園・年中の12月頃に展示会に行くなど活動を始め、年長の5月頃に買うというスケジュールになっている。最近は、親が展示会やネットでランドセルを探し、祖父母と親子三代が連れ立って店に行き、祖父母が金を出して買うというケースが多い(親が買うよりも祖父母が買う方が多いという調査結果がある)。

親子三代が笑顔で買い物をしている姿を見るとほのぼのしてくるが、私はラン活に批判的だ。その理由を紹介しよう(ラン活に意気込んでいる方は、気分を害するだけなのでここから先は読まない方が良い)。

まず、小学生にランドセルを背負わせるという行為が、私には理解できない。「どうしてランドセルを買うんですか?」と聞かれたら、たいていの親は「みんながそうしているから」「自分が子供の時そうだったから」という程度も答えだろう。

近所の小学生を見ると、低学年はランドセルを背負っているが、高学年はほぼリュックサックだ(私の娘もそうだった)。子供は成長が早いので、すぐにランドセルが体格に合わなくなる。また子供だっておしゃれしたいから、いつまでも同じランドセルを使い続けたくない。重くて、堅くて、伸縮性がないランドセルよりも、最初からリュックサックにし、成長に合わせて買い替える方が、合理的だし、子供の気持ちにもかなっている。

仮に、低学年にはランドセルが適しているとしても(重さを考えるとありえないが)、2~3年しか使わないなら、できるだけ安く買おうと考えるのが普通だ。ところが、ランドセルの相場は5万円以上、百貨店だと10万円を楽々超える。2万円以下の低価格品もあるが、あまり人気はなく、高いものから売れるらしい。

なぜ、より高いランドセルを買おうとするのだろう。たいていの親は、「長く毎日使うものだから、より良いものを与えたい」ともっともらしく言うが、よく聞くと「近所の子より安いもの与えると子供が可哀想」と言う。「子供が可哀想」と子供思いを装うが、ぶっちゃけ「自分が恥ずかしい」ということだ。要は、ただの見栄の張り合いである。

小学生の親は20代後半から30代前半で、日本では収入が低い。ランドセルに10万円も出すというのは、相当な痛手のはずだ(ランドセルだけでは済まない)。ところが、親は「お金がないから見栄を張らずに我慢しよう」とはならない。祖父母が喜んでホイホイお金を出してくれるからだ。親は、祖父母にせがんで見栄を張ることができる。要は、たかりだ。

一度たかりの味をしめた親は、ランドセルだけでなく、何か入り用になるたびに祖父母にたかるようになる。「子供が海外旅行に行きたいと言ってる」「子供が広い家に住みたいと言ってる」「子供が私立の学校に行きたいと言ってる」「子供の成人式で立派な振袖を着たいと言ってる」…。

「自分の親にたかるのって、当然でしょ」と開き直る人もいるようだが、国際的に見て当然のことではない。まず発展途上国の高齢者は貧乏なので、たかれない。欧米は子供の自立を重んじるので、子供からのたかりには厳しい。ちなみにアメリカでは、大学に入ったら家から出て寮に入り、親から仕送りをもらわず奨学金とアルバイトで学生生活を送るのが一般的だ。

ラン活だけでなく、たかりは日本社会の大きな特徴だ。国民は政治家に利益誘導をたかる。個人だけではなく企業も、ちょっと経営が行き詰まると国に補助金をたかる。そして、小室圭さんのようにたかりに成功した他人を「てめえ、うまいことやりやがって」と妬む…。

お金に困ったら、まず親や国にたかる日本人・日本企業。必死になって働いてお金を稼ごうとする日本以外。長い目で見てどちらが良い人生・良い企業経営になるか、言うまでもないだろう。

 

(2022年5月9日、日沖健)