悠仁さまの入試を巡る残念な議論

秋篠宮悠仁さまが筑波大学附属高校に入学することについて、メディアやネット世論が騒がしい。「おめでとうございます」というお祝いの言葉は少なく、「一般の受験生と比べて不公平だ」「提携校制度って悠仁さまのために作られた特別な制度なの?」「釈然としない」といった批判・疑念が渦巻いている。

たしかに、提携校制度の不透明さや対外公表のやり方などツッコミどころは満載なのだが、「不公平」という国民の批判は的外れだと思う。皇族は、一般国民と同じ尺度で測ることができない特別な存在で、一般国民と公平である必要などないからだ。

日本人の大多数が天皇制を支持し、皇族を一般国民とは異なる特別な存在だと認めている。ならば、ゆくゆくは天皇になられる悠仁さまをしっかり特別扱いし、筑波大学附属高校でも東大でも最高の環境で学んで見識を高めていただいた方が、国民にとってプラスだろう。皇族を特別な存在だと認めておきながら「特別扱いするな」と批判するのは、支離滅裂だ。

ただし、今回の騒動を「庶民のしょうもない嫉妬」と片付けて良いものか、とも思う。悠仁さまの件だけでなく、昨年の眞子さまの駆け落ち婚でも、皇室のあり方が議論になった。さらに男系皇族の減少に直面し、そもそも天皇制をどう改革するかが問題になっている。いま、天皇制・皇室のあり方が問われている。

日本では、天皇制について議論することはタブーになっている。国民もメディアも「下手なことを言うと、右翼に脅かされる」とびくびくし、口を閉ざしている。しかし、天皇制は日本人のメンタリティと大いに関係する問題であり、国民もしっかり考え、意見を発信するべきではないだろうか。

私は、天皇制を廃止し、イギリス以外の先進国のような体制するべきと思っている。なぜなら、皇族の方々には自由がなく、憲法が保障する基本的人権が著しく侵害されているからだ。

皇族は、自分の考えを自由に発言することが許されない。四六時中どこへ行くにも宮内庁職員が付いて回り、外出すら自由にできない。風呂とトイレ以外には自由な時間・空間がないという、北朝鮮拉致被害者なみに抑圧された生活だ。

彼らがそういう生活を望んでいるならともかく、週刊文春によると、眞子さま・佳子さまは10代の頃から「早くここから抜け出して、外の世界に行きたい」と繰り返し周囲に吐露されているという。

自由主義国家の日本において、「たった17人の例外」とはいえ、基本的人権の侵害が堂々とまかり通っているのは、驚くべきことだ。また、眞子さま・佳子さまの悲痛な叫びを「わがままだ」「2600年間そういう伝統なんだから我慢しろ」と非難する日本人は、なんと残虐な民族だと思う。

もちろん、天皇制には日本人の心を安定させるなどのメリットもあるので、「何が何でも廃止するべき」とまでは思わない。ただ、今後も天皇制を存続させるというなら、最低限、皇室の方々に一般人を同じような自由を保障し、人間らしい生活をさせてあげるべきだと思う。

今回の騒動で、「悠仁さまには(不合格という)挫折をする自由もないのか?」と指摘するネット記事があった。「なるほど」と思った反面、そこまで言うなら、天皇制の存廃について議論を発展させて欲しかった。

 

(2022年2月28日、日沖健)