日本の老人は劣化していないか?

昨日、北京オリンピックが閉幕した。開幕前は、人権問題やコロナ対応ですったもんだしたこともあって正直あまり関心なかったが、始まってみると手に汗を握る熱戦が多く、思わず見入ってしまった。感動を与えてくれた選手たちには、感謝したい。

とくに、理不尽な採点をものともせず勝ち切った平野歩夢選手とパシュートでの不運にめげずに次の1000メートルで金メダルを獲得した高木美帆選手の二人の精神力は圧巻だった。日本の若者は、たくましくなったものだと思う。

さらに印象的だったのが、試合終了後の選手たちのコメントである。多くの選手が、支えてくれた関係者やファンへの感謝の気持ちを口にしていた。とくにモーグルで金メダル候補だった川村あんり選手は、5位に終わったレース後の失意のインタビューの最後に、自らインタビュアーに向かって「寒い中、ありがとうございました」と伝えた。川村選手はまだ17歳。二人の娘を持つ身としては「親の顔が見てみたい!」と思った。

と清々しい気持ちになっていたところ、先週、出張先の居酒屋で嫌な思いをした。70歳代と思しき老人2人組が酔っぱらって、「最近の若い奴らは、態度が悪いし、口のきき方も悪い」「年配者に対する敬意がまったく足りない」と大声で管を巻いていた。

実際に2人の周囲にはとんでもない若者が多いのかもしれないが、「年配者への敬意」というのはいかがなものだろうか。家族など周りの人に普通に接していれば、相手から最低限の敬意を払ってもらえるので、「敬意が足りない」と不満を表明することはない。敬意を払ってもらえないのは、本人がその程度の人間なのだと推察される。

トップアスリートと居酒屋で管を巻いている老人を比較するのは不適切かもしれないが、最近「老人の劣化」が著しいように思う。

コロナ禍で、自分の都合を優先する老人の醜い実態があらわになった。一昨年の10万円給付では、ちょっと待てば入金されるのに、多くの老人が役所の窓口に殺到して「入金はまだか!」と詰め寄った。ワクチン接種でも、老人は「俺の順番はまだか!」と不満をぶちまけた。

というと、「大半の老人はまともだろ。一部のしょうもない老人を取り上げて極論を言うな」「いたずらに世代間対立を煽るな」と言われる。しかし、日本では大半の老人が子供・孫の世代や社会のことよりも、自分たちの立場を優先しているように見える。

私(56歳)は昨年、高齢者が集まる場で「将来のある若い世代から順にワクチンを打つべき。ワクチンが足りないなら、余命いくばくもない高齢者は接種を我慢するべき」と主張した。参加者から「年寄りは死ねというのか!」という批判を多数いただいたが、「その通り。私も若者に譲りたい」という賛意は皆無だった。

また、この2年間、第○波がやって来るたびに、「緊急事態宣言を出せ!」という高齢者の大合唱が起こった。現役世代がコロナで収入が減って困っているのに経済活動を停止するように要求するのは、高齢者が自分のことしか考えていないという証左であろう。

昭和の時代まで老人は「長老」として尊敬されていた。儒教の「敬老」という考えに国民が感化されていたためだが、同時に老人の方も、子供・孫の世代や社会のことを考え私利私欲を捨てるということが多かったのではないだろうか。

若い世代が減り、高齢者が増え、いまや高齢者の声≒国民の声になっている。このシルバー民主主義の状況で高齢者がマインドを改めないと、日本の将来はたいへんなことになってしまうだろう。坂本龍馬風に言うと、「高齢者を今一度、洗濯いたし申し候」というところだ。

私もそろそろ高齢者の仲間入りをする年齢なので、「まず隗より始めよ」で若い世代を優先するようマインド・行動を変え、周りの高齢者に働きかけていきたいと思う。

 

(2022年2月21日、日沖健)