分配と成長は循環するのか

10月に就任した岸田首相は、「新しい資本主義」を提唱している。その全貌はまだ明らかではないものの、所信表明演説の中で12回に渡って「分配」という言葉を使ったほか、「分配と成長の好循環を作り出す」「分配なくして成長なし」と強調していること、真っ先に給付金の支給を打ち出したことから、低所得者への分配を重視する姿勢が濃厚だ。

分配重視の姿勢について、日経新聞は「生産性を押し上げる改革策などが不十分だと、成長が停滞したまま政府債務ばかり膨らむ危うい状況が続く懸念がある」(11月7日)と指摘した。この指摘のように、一般に分配と成長は相対立するものと考えられており、分配重視で日本がますます衰退していくと懸念される。

一方、分配と成長は相対立するわけではなく、逆に分配が成長を促すという見方もある。元経産省官僚の評論家・中野剛志は、「分配が成長のための最善の方法」「分配重視の岸田首相の政策は完全に正しい」と主張している。

中野の「分配が成長を促す」という主張の論拠は2つある。一つは、高所得者よりも低所得者の方が消費性向(=消費÷所得)が高いので、消費が増えるという点だ。もう一つは、広い層の国民が教育への支出を増やすので、人的資源が高度化するということだ。一つ目は短期の成長、二つ目は長期の成長を促す。実際、OECD加盟国では分配を強化したら成長率が高まったという実証研究もある。

この中野の主張が正しいなら、日本(や世界各国)はさっさと資本主義をやめて共産主義に転換するべき、という恐ろしい結論になってしまう。国家統制経済を目指す経産省のOBらしい発想だが、「おいおい()」と笑って見過ごすことはできない。

岸田首相や中野の「分配が成長を促す」という主張には、大きな問題がいくつかある。

第1に、日本では分配を増やしても、消費も教育投資も増えないだろう。他のOECD諸国と違い、低成長・財政難の日本で国民、とくに低所得者は、雇用や年金が今後も維持されるか危惧している。この状況で給付金など分配を強化しても生活防衛のために貯蓄に回すことは、昨年の現金給付で証明済みだ。今回の給付で「貯蓄に回らないようにクーポン券で支給しよう」と検討している時点で、政府自身が分配で消費が増えると考えていない。

仮に、百歩譲って「分配→消費→成長」という流れが実現するとしても、分配重視には長期的に大きな弊害がある。

第2に、分配重視でイノベーションや創業が停滞するだろう。せっかくリスクを取り、努力してイノベーションや創業を実現しても、その成果が低所得者に分配されるだけなら、馬鹿馬鹿しくて誰も創業・イノベーションに挑戦しなくなる。分配重視によって、ただでさえも停滞しているイノベーションや創業がさらに減り、少しくらい消費が増えても、日本・日本企業の国際競争力はますます低下していく。

第3に、分配重視の「新しい資本主義」が本当にこの国の形になったら、優良企業や優秀な人材は日本に見切りを付けて海外へと脱出するだろう。習近平国家主席が「共同富裕」と言い出した中国では、優良企業や優秀な人材の国外脱出が始まっているという。鎖国の時代ならいざ知らず、企業も人材もグルーバルに移動する時代に、優良企業や優秀な人材がいつまでも日本に留まっていてくれると想定するのは、あまりにもノー天気だ。

以上から、分配重視の「新しい資本主義」は、ちゃんちゃらおかしい、という結論になる。岸田首相が政策を本格始動する前に、何とか軌道修正して欲しいものだ。

ところで、個人的に残念なのは、「新しい資本主義」は、資本主義をやめて共産主義を目指そうか、という国家の大計なのに、中野のような御用評論家や私のような胡散臭いコンサルタントが吠えているだけで、政治家や経済学者の議論が低調なことだ。「どうせ岸田なんて1年くらいで退陣するから、好きなことを言わせておけ」という認識だろうか。国家の針路が何となく雰囲気で決まるとすれば、国家の重大な危機だと思う。

 

(2021年11月22日、日沖健)