資格に対する過大な評価

秋篠宮ご夫妻の長女の眞子様と小室圭さんが明日ご結婚する。お祝い申し上げたい。小室さん親子の様々な問題には私もしっくりこないが、マスコミ・世間からバッシングを浴び、遠く離れて3年以上も耐え続け、ついに結ばれたお二人の忍耐は並大抵のものではない。これからも困難に負けず、幸せな家庭を築いて欲しいものだ。

ところで、小室さんを巡る一連の騒動の中で個人的に最も興味をひいたのは、弁護士という資格の価値が日本で過大に評価されていることだ。小室さんが弁護士試験に合格の見込みとなり、法律事務所に就職が決まったことを受け、宮内庁は「これで生活基盤が整った」と結婚にゴーサインを出した。メディアの報道も、弁護士が超エリート資格で、弁護士を取れば人生安泰、楽々と皇族を養っていける、というニュアンスだ。

しかし、アメリカの弁護士事情は日本とかなり異なる。弁護士試験の合格率は州によって異なるが、ニューヨーク州では初めての受験での合格率は89%と、ほぼ全員合格だ。法学部を卒業すれば誰でも取れる楽勝資格で、全米で135万人もの弁護士が溢れている(アメリカ人の20人に1人が弁護士!)。弁護士で食べていくのは至難の業で、交通事故の示談案件を獲得するために高速道路を巡回している弁護士もいるという。

日本では弁護士は4万人にすぎない。アメリカでは日本の司法書士が担っている業務も弁護士が担っているという事情もあるが、これだけ日米で弁護士の数が違うのは、日米で弁護士資格の位置付けがまったく違うからだろう。

アメリカの弁護士は、法律の基本知識を持つ「教養人」にすぎない。弁護士だからといって、訴訟など専門的な案件を担当できる高度な知識があるとは限らない。弁護士が山ほどいて玉石混交なので、利用する国民・企業は案件の内容・難易度によって適切な弁護士を選ぶことが求められる。

それに対し日本の弁護士は、法律に関する高度な専門知識を持つ「専門家」だ。国が厳しい弁護士試験を課して弁護士の数を制限し、弁護士法に基づく各地の弁護士会が所属する弁護士の活動を厳格に管理し、品質維持に努めている。国民・企業は、法律のことなら弁護士に相談すれば安心だ。

ここまで弁護士を取り上げたが、公認会計士など他の資格でもよく似た状況である。では、基本知識を持つことを証明するに過ぎないアメリカの資格と専門家として高いスキルを持つことを保証する日本の資格では、どちらが国民・企業にとって良いだろうか。

日本のやり方は、国民・企業が安心して質の高いサービスを利用できるのがメリットだ。一方、資格保有者の数が限れられるので、サービスを気軽に利用できないというのがデメリットだ。アメリカはその逆だ。

ということで日米とも一長一短だが、日本もアメリカにならって資格保有者数の拡大、楽勝資格化を進めるべきである。国民・企業の専門サービスに対する需要が増えているし、技術の高度化や社会の複雑化で国が資格保有者の品質を保証するのが難しくなり、市場原理に任せた方が効率的だからだ。すでに2000年代から専門大学院で弁護士・会計士資格を取得する仕組みを導入するなど門戸を広げる方向ではあるが、まったく不十分だ。

もちろん、アメリカのように資格保有者が溢れかえる状態になると、国民・企業には自己責任で優れた資格保有者を探し出すスキルが必要になるし、手間がかかる。資格保有者を評価する仕組み作りも必要になるだろう。食べられない資格保有者が続出することも問題だ。

小室さんの一件を見る限り、まだまだ日本では資格保有者をエリートと奉る考えが強い。今後、国民は資格への認識を改める必要があるだろう。

 

(2021年10月25日、日沖健)