専門家という困った存在

先日、東洋経済オンラインに「名古屋めしブームに名古屋民が抱く違和感の正体」という記事を出したところ、名古屋めしの専門家だと称する方から、編集部に抗議文が届いた。専門家から見て私の記事の内容に “間違い”が多いので、「記事を取り下げるなど真摯な対応を望む」とのことだった。

しかし、抗議の内容は、「名古屋はうどん文化」という記述に対し「きしめん文化だ」といった言いがかりや「あつた蓬莱軒は全国展開に消極的」という記述に対し「県外にも数店舗あり、消極的とは言えない」といった見解の相違ばかり。私の記事に“間違い”はなかったので、編集部はその専門家をまともに相手にしなかった。

その専門家は抗議文で、自分が名古屋めしについて深い造詣があることを延々と書き連ねていた。おそらくは、専門家の自分を差し置いて一介の元名古屋市民が大手メディアに記事を出したことが許せず、怒り狂って「素人はおとなしく引っ込んでろ!」と抗議行動に出たのだろう。

という個人的な体験はさておき、最近「専門家」と称する人が増殖し、(お笑い芸人とともに)マスメディアを占拠している。もちろん、良い専門家も悪い専門家もいてピンキリなのだが、良い専門家は増えず、悪い専門家だけがどんどん増え、悪貨が良貨を駆逐している印象だ。悪い専門家には、以下のような特徴がある。

第1に、マニアックな知識を絶対視し、分析・対策といった知識の活用をおろそかにする。さかなクンの海の生き物のように、我々にとって未知の分野の場合、マニアックな知識それ自体が新鮮だ。しかし、経済・社会・政治といった国民生活に直結した分野では、マニアックな知識よりも、それが国民生活にどう影響し、我々はどう対応すれば良いのか、といった知識の活用が重要だ。専門家は、知識は一つの前提条件に過ぎないと知るべきだ。

2に、自分の専門以外のことを考慮しない。コロナでは多くの医療専門家が出現し、「人流を徹底的に抑えて感染を無くせ」などと主張している。人流を抑えれば感染者は減るかもしれないが、国民生活に甚大な悪影響が及ぶ。悪影響に少しでも目を向けるなら、簡単に「人流抑制」とは言えないばずだ。幅広い影響が及ぶことについては、自分の専門以外への影響も考慮して主張する必要がある。

第3に、自分の考えと対立する意見を認めず、反対論者と一緒に考えるということをしない。邪馬台国論争では、無数の歴史家が思い思いに邪馬台国を”誘致“し、他の説には耳を貸さない。とくに畿内説を支持する専門家は、「邪馬台国の東は海だった」「海に潜って漁をしていた」「南に狗奴国という大国があり対立していた」など「魏志倭人伝」の都合の悪い記述を無視し、メディアを動員して「纏向遺跡で勝負は決まった」と喧伝している。

これらの特徴を一言でまとめると、「専門バカ」ということだ。これは、メディアに登場する専門家だけでなく、会社に勤務している社内の専門家でも同じである。自分のことを専門家だと考える人は、くれぐれも「専門バカ」にならないよう注意したいものだ。

ところで、私はコンサルタントや研修講師として活動しており、よく「日沖さんの専門は?」と聞かれる。「企業経営の専門家」ということになるが、経営戦略、会計・財務、マーケティング、人材マネジメント、問題解決、論理的思考など色んなテーマを扱っており、とくにどれが専門ということはない。「まあ色々です」と答えている。

3年くらい前までは、50歳を超えても専門分野が確立されていないことに引け目を感じていた。しかし、世の中に困った専門家が増えてきたのを目の当たりにして、「専門家と名乗ると、逆に胡散臭いな」と思うようになった。もっとも、コンサルタントも専門家に負けず劣らず胡散臭いのだが…。

 

(2021年9月13日、日沖健)