先週、北村英治さんのライブを聴きに行った。北村英治さんは日本が世界に誇るジャズ・クラリネット奏者で、御年92歳。コロナの影響でライブを控えていて、先週が1年半ぶりのステージだった。ファンにとって待ちに待った復活ライブということで、平日17:00スタートにもかかわらず2日間ともキャンセル待ちの大盛況だった。
感想を一言で言うと、「いつも通り」。いつものように「Rose room」で始まり、いつものようにスウィング感ある軽快な演奏、いつものようにジャンプを披露、いつものように楽しいMC(「同窓会に行ったら老人ばかりでがっかりした」とか)…。肌の艶や声の張りなどを含めて、すべてが1年半前と同じだった。
そして北村さんは、1年半のブランクをもたらしたコロナについて、まったく一言も触れなかった。90歳を超えて、残り短い音楽家人生の中断を余儀なくされ、さぞや怒り心頭かと思いきや、そういう感じはなかった。と言って復活を大喜びするでも、感傷的になるでもなく、いつものように楽しい仲間と楽しく演奏していた。
北村さんは、どうしてコロナについて語らなかったのだろうか。ライブハウスを後にして、有楽町駅前の居酒屋で呑みながら、理由をあれこれ考えてみた。
① 俗事を超越したよ
戦後、学生時代にプロになり、幾多の困難を乗り越えて70年に渡って活動してきた北村さんにとって、コロナは俗世間の小さな出来事。1年半のブランクも長い人生の中でちょっとした息抜きに過ぎなかったのかもしれない。
② ファンサービスが第一
コロナについて語ると、どうしても湿っぽい雰囲気になってしまう。北村さんは常にファン第一で、ファンと一緒に楽しむことをモットーとしており、このひと時はファンにコロナを忘れて楽しんでもらいたい、いつもと変わらぬステージをするのが最高のファンサービスだと考えたのかもしれない。
③ 俺の美学に似合わない
北村さんは、ジャズだけでなく、料理や落語にも造詣が深い、戦後日本を代表する粋人だ。そして92歳になった今も、風貌も仕草も口ぶりも実にカッコいい。コロナについて愚痴を言ったり、復活に感激して涙を流したりというのは、北村さんの美学に似合わなさそうだ。
④ 1日も研さんを欠かさない
慶応義塾の創始者・福澤諭吉は1868年5月15日、上野で官軍と彰義隊が激突し、砲声が江戸中に響きわたる中、動ずることなくいつものようにウェーランド著の経済書を講義し、学問研究に一日もゆるがせにできないことを示した。慶応OBの北村さんはこの故事をご存知のはずで、今も「もっともっと上手に演奏したい」と口にしていることから、福澤にならって欠かさず研さんすることの大切さを我々に教えてくれたのかもしれない。
⑤ 言い忘れちゃいました
私が行ったライブは2日目だったので、1日目はコロナについて語ったが、2日目は言い忘れた可能性がある。もし北村さんに尋ねたら、「ああ、言い忘れた。ずいぶん痴呆症が進行しちゃいました!」と笑って答えたに違いない。
ところで、ライブが行われた銀座スウィングに到着し、受付のママさんに「コロナでお店の方は大変でしょうけど、頑張ってください」とか挨拶しようとしたら、ママさんから笑顔で「あーら日沖さん、今日はずいぶん可愛らしいシャツを着ていますね!」と言われた。「え、そうですか(笑) ありがとうございます。今日は楽しませてもらいます」と答えるばかりで、コロナのことを言いそびれてしまった。
北村さんやママさんの本当の心の内はよくわからないが、コロナのことで気が立って寛容な気持ちを失っている自分を恥じるばかりだった。
(2021年8月23日、日沖健)