キナバルの友

私事で、しかも古い話で恐縮だが、私が1988年に日本石油(現・ENEOS)に入社したとき、入社式の後、新入社員全員に『キナバルの友』という1冊の本が配布された。著者の神林勇さんは日本石油のOBで、自身の戦争体験を綴ったこの本を私たちに贈呈してくださった。

神林さんは新潟県生まれ。地元の日本石油・柏崎製油所に就職し、昭和16年に軍属として徴用され、南洋のボルネオ島に派遣された。神林さんの任務は、それまで現地を支配していたイギリス軍が撤退した際に破壊したルトン製油所を修復し、日本軍が使用できるようにすることだった。神林さんはイギリス軍が残した車を次々と修理し、製油所を復旧し、航空機用ガソリンの製造に成功する。

ところが、開戦後に戦況が悪化し、神林さんはアメリカ軍の空襲によって負傷してしまった。兵士よりもはるかに日本軍に貢献した神林さんだったが、足手まといになるとして軍に見捨てられた。その後、一人で松葉杖をついて3か月もジャングルを逃避行することを強いられた。

そのとき神林さんを助けてくれたのは、現地の部族や日本から来たパン屋の娘だった。そして幾多の苦難を乗り越えて、神林さんは帰国を果たす。書名の「キナバル(ボルネオ島の最高峰)の友」とは、神林さんを助けてくれた人たちのことである。

この本を渡された私はさらっと一読したが、正直、あまりピンと来なかった。当時の私は天下・国家よりも食欲・性欲を優先する普通の若者だったので、「ああ、凄い先輩がいるんだなぁ」という程度の感想だった。

それから歳月を経て私の考えは少し変わり、「神林さんのような先人の尽力のお陰で今日の平和で豊かな生活があるのだ」と感謝の気持ちを持つようになった。さらに、19年前に独立して事業を始めてからは色んな人たちに助けられて何とか生活することができ、その恩返しとして「神林さんのように後世の人に何かを遺したい」と思うようになった。

唐代の詩人・白楽天の43代に当たる白彦基が「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり。されど、財なさずんば事業保ち難く、事業なくんば人育ち難し」という言葉を残している(野村克也さんがよく語ったことで有名)。私はMBAや企業研修などで社会人教育を担っているので、「人を遺すために、日々の仕事にしっかり取り組もう」と思った。

ただ、MBAや企業研修で受講者に知識・スキルを伝えることはできるし、それなりに受講者に満足していただけるのだが、受講者の人生が変わるほどの大きな影響を与えられているかというと、かなり疑わしい。教育に携わっているからといって「人を遺す」ことを実践できているとは限らない。

とあれこれ考えていたところ、先日、コンサルタントをしている知人のKさんから「可愛い後輩が中小企業診断士に合格したので、日沖さんの著書をお祝いに贈りました!」と聞いた。それを聞いて、著作などを通して「考えを遺す」というやり方もあるのだなと思った。とわかったら善は急げで、私が教えているある機関で診断士を取得した方全員に今後、私のある著書を贈呈することにした。

さらについでということで、地元の横浜市立図書館に私のこれまでの全著作31冊を寄贈した。図書館からは「寄贈ありがとうございます」と礼状をいただいたが、1冊も図書館には所蔵されず、すべて廃品として処分された(すでに12冊所蔵されていたせいもあろうが)。いくら私が「横浜市民よ、俺様のありがたい本を読め!」と力んでも、読み手にとっては価値がないということだ。独りよがりになってはいけないと大いに反省した。

今日は長崎原爆記念日、そして次の日曜日は、76回目の終戦記念日である。もう一度『キナバルの友』を読んで(4回目になる)、自分はこれから何を遺すのか、ゆっくり考えてみたい。

 

(2021年8月9日、日沖健)