大坂なおみ選手の事件で考えた2つのこと

大坂なおみ選手が記者会見を拒否した事件(と呼ばせていただく)が、世界中に波紋を広げている。すでに各所で喧々諤々の議論が行われているところだが、複数の友人・知人から見解を求められたので、私が感じたことを2点記しておきたい。

まず、試合後の敗者への記者会見には、前々から強い違和感があった。ボクシングなど格闘技では、敗者への試合後の記者会見は欧米でも一般的ではない。格闘技の敗者は肉体的なダメージを負っていることに配慮しているのだろう。テニスの敗者は、もちろん格闘技のような肉体的ダメージを負うわけではないが、精神的なダメージは確実にある。肉体であれ精神であれ、ダメージを負った選手に塩を塗り込むのは、見ていて気持ち良いものではない。

ただ一方、観戦するファンとしては、敗者にも試合について色々と聞いてみたいところだ。では、どのようにこの対立を解消すれば良いのか。これは実に簡単で、選手に試合後の記者会見を義務付けず、応じてくれたらマスコミから選手に報酬を支払うという形にすれば良い。この方法なら、選手の精神的健康にもファンのニーズにもかなり配慮できる。今後、この方向で今回の問題が解決に向かうことを期待したい。

それよりも今回私が今なおモヤモヤしているのは、ある問題にコメントするという行為の難しさだ。

今回、多くの評論家・関係者(無関係者も)が当初は大坂選手を「身勝手だ」「伝え方が悪い」などと批判していたが、大坂選手がうつ病を公表したら途端に批判の矛先を緩めた。たとえば、俳優の谷原章介はフジテレビ系「めざまし8」で5月31日に「(大坂選手は)SNSだけではなく会見でも主張してほしい」と呼びかけたが、1日に「辛い立場の方に申し訳ないことをした」と自身の呼びかけの非を認め謝罪した。

谷原だけでなく、評論家・識者の誰も大坂選手がうつ病であることを知らなかった。それ以前に日本の評論家・識者の誰も、4大大会という世界最高峰の舞台で極限のプレッシャーを経験していない。元々、誰も大坂選手のことを批判する資格などなかったのだ。

と言ってしまうと、総理大臣になったことがない政治評論家は政治を語れない。社長をしたことがない経営評論家は経営を語れない。「経験がないことを語るな」となると、多様な視点が失われてしまうし、議論そのものが減り、言論はたいへん貧しいものになってしまうだろう。

ここからは個人的な考え。あるテーマについて経験が足りなくても、あるいはまったく無関係でも、自分が感じたことをどんどん発信するべきだと思う。色んな人が議論に加わることで、議論が深まるからだ。

ただし、経験がないことについては、今回のように大間違いしているという可能性がある。以下の3点に留意する必要がある。

    そのテーマについて、可能な範囲で情報を集めて知るように努める。

    自分のコメントは間違っているという可能性がある(高い)と自覚する

    間違っていたら修正する(その点、谷原の姿勢は素晴らしい)。

私は東洋経済オンラインに定期的に寄稿するなどマスメディアの片隅にいて、よく知らないテーマを取り上げて偉そうにコメントする。そもそも本業のコンサルタントというのが、企業経営の経験のない若造が経験豊富な経営者にアドバイスをするという恐れ多い職業である。大坂選手の事件から、あることにコメントをするという行為について考えさせられた。

 

(2021年6月7日、日沖健)