このところマスコミへの風当たりが強まっている。90年代後半からインターネット、2000年代からSNSが普及したことで、テレビ・新聞といった既存のマスメディアの地位は相対的に低下した。最近は、低俗的なバラエティ番組や偏向報道に対する批判が高まり、「マスゴミ」と罵声を浴びるようになっている。
国民の批判は概ね正しいと思うが、個人的に少し引っかかるのが、いわゆる「切り取り」批判だ。「マスコミは自分たちにとって都合の良い情報だけを切り取って報道するのではなく、客観的な事実だけを伝えろ」とよく言われるのだが、この「客観的な事実」というのがなかなか難しい。
たとえば、マスコミが「週末の渋谷センター街が3密になっている」と伝えると、「それは切り取りだ。平日はどうなんだ」「銀座とか他の繫華街はどうなんだ」「地方のショッピングセンターでも3密になっているぞ」といった批判が出る。ただ、テレビが限られた放送時間、新聞が限られた紙面で世の中のすべてのことを伝えるのは不可能だ。世の中の現象のうち、マスコミの判断で重要だと思ったものを切り取って伝えるしかない。
つまり、切り取りは、マスメディアに限らず物事を認識するとき必然的に起こることだ。そして、情報収集・分析の能力・スキルが劣る国民がインターネット情報などで思い思いに切り取るよりも、能力が高いマスメディアがやる方が、より良い切り取りができる。切り取りは悪いことではなく、むしろマスメディアの存在価値なのだ。
大切なのは、マスメディアが報道スタンス、つまり自分たちはどのような視点から情報を切り取っているのか、正しい手続きで切り取りをしているのか、を丁寧に受け手に伝えることだろう。この点に関して、多くのマスメディアの説明は極めて不十分で、改善が期待されるところだ。
それよりも私が問題だと思うのは、マスメディアの情報収集力や政権批判機能の低下だ。ワシントンポストがウォーターゲート事件を報道して政治を変えたのは、今や昔。世界的にマスコミが政治や社会を良い方向に動かすことが激減している。政権や企業の不祥事を知った関係者がそれを内部告発するときなど、SNSを通して発信するのが主流になっている。わざわざマスコミを通して発信する必要はない、とわけだ。
しかし、個人のSNSによる発信は、あまり拡散しないかもしれないし、自分の身元が判明してしまうというリスクがある。マスメディアを通して発信すれば、マスメディアの発信力・ブランド力を活用できるし、ワンクッション置いて発信することでリスクヘッジができる。SNSの時代でも、マスメディアには情報収集力や政権批判機能など一定の価値があると言えよう。
問題は、最近そうした告発や特ダネ情報がなかなかマスメディアに集まらないことだ。近年、政権を揺るがす特ダネと言えば、週刊文春の独壇場。今回の菅首相長男の総務省接待問題でも、テレビ・新聞は週刊文春の告発記事を後追いで紹介するにとどまっている。
では、マスメディアが情報収集力や政権批判機能を取り戻すには、どうすればよいだろうか。国民が「マスコミは信頼できる、われわれの声をきちんとくみ取って代弁してくれる」と感じたら、マスメディアを頼る国民が増えるだろう。といっても秘策はなく、適切な切り取りをし、切り取りの方法・考え方を説明するという地道な取り組みを重ねていくしかなさそうだ。
「マスコミなんてなくても良い」という最近の極論を跳ね返し、マスメディアが復活することを期待したい。
(2021年2月22日、日沖健)