東大生ブームがなぜ起こったか?

ここ数年、テレビでは、「東大」「東大生」をタイトルにしたバラエティー番組をよく目にする。発端は2016年の「日曜ファミリア・さんまの東大方程式」(フジテレビ系)だが、最近は「これでもか」というくらい電波を占拠している。

テレビ番組だけではない。出版業界でも、『東大生が書いた株の本』といった東大・東大生をアピールする出版物が目立つ。メディアの世界は、“東大生ブーム”というべき状況になっている。

アメリカでは、学生起業家を取材したらハーバード大生だった、ということはあっても、一般のハーバード大生を取り上げて大々的に報道したりはしない。まして、ハーバード大生をアピールしてレギュラー番組を作ることはない。日本よりも学歴信仰が強い韓国でも、メディアでのソウル大ブームは起きていない。東大生ブームは、日本独特の珍現象と言えそうだ。

東大が日本一の大学であること、東大生が日本一優秀であることは、明治時代からずっと変わらない。にもかかわらず東大生ブームがにわかに起きているのは、東大・東大生よりも、日本社会・日本人が最近になって変わってきたのだろう。

何が変わったのか。一言でいうと、「権威の失墜」である。よく「長い物には巻かれろ」と言われるように、日本人はアメリカ人などと比べてもともと権威に弱い。ところが近年、日本では、色々な分野で、日本人が長年すがってきた権威が失墜している。

政治の世界では、長く続いた自民党政権が終わり、その後の民主党政権も迷走した。政治そのものが頼りにならなくなった。

メディアでは、インターネットの普及で全国紙やテレビ局がオピニオンリーダーでなくなり、マスコミ不信が強まっている。

企業では、JALやダイエーが破綻し、日立製作所やメガバンクが生き残りを賭けてリストラを敢行するなど、大手企業でもいつ倒産しても不思議でない状態になった。

専門家の世界でも、絶対的な存在だった弁護士が、「儲からない資格」の代表選手に没落してしまった。

こうして日本で長く続いた権威が次々と失墜する中、まったく権威が揺らいでいないのが東大である(実は、世界の大学ランキングでは、東大も地盤沈下しているのだが)。日本人は、失われゆく伝統的な権威の最後の砦として「頑張れ、俺たちの東大!」と温かい目で東大生を見守っているのだろう。もちろん、エリートへの羨望や嫉妬も相半ばしながら。

次代を担う学生がメディアに登場するのは、悪いことではない。ただ、東大以外の大学にも高い能力を持ち、個性的な活動をしている学生がたくさんいる。そういう他の大学の学生も取り上げてほしいものだ。できればバラエティー番組ではなく、若者のリアルな生活や考え方がわかるような番組だと嬉しい。

また、メディアは東大生を「頭は良い。でも、冷たいし、面白みがない」と取り上げる。あるいは頭が良い東大生が「実はちょっと間抜け」といったギャップを茶化す。しかし、私の周りの東大出身者には、25年以上も懇意の診断士仲間であるKさん、前職を辞めて18年も経つ私を何かと気遣ってくださる元・人事部長のSさんなど、人情味に溢れ、頭の良さ以外にも魅力がある人が多い。メディアのステレオタイプな取り上げ方は、何とも残念だ。

変化の激しい世の中、東大を含めて今後も伝統的な権威がどんどん失墜していくことだろう。ビジネスの世界では、トヨタや総合商社の神通力もかなり怪しくなってきた。東大生ブームのように、まだ辛うじて残っている権威を探してそれにすがるよりも、権威に関係なく良い人(企業)は良い、悪い人(企業)は悪い、と判断する自立した思考を身に付けたいものである。

 

(2020年9月21日、日沖健)