戦時下の株式市場

終戦から75年を迎えようとしている。戦争の記憶が薄れて行く中、ビジネス・経済の関係者が記憶にとどめたいのが、戦時下の株式市場である。

ここでクイズを2つ。

    戦争で取引が中断された東京証券取引所(東証)が戦後1949年5月に再開されたことは有名だが、中断になったのはいつか?

    戦時下の株式相場はどう推移したか?

答えは、①「1945年8月10日」、②は「指数は堅調で、戦時中、開戦時よりも高く推移した」である(有沢広巳監修『証券百年史』日本経済新聞社など)。

あの悲惨な戦争だったので、株の取引どころではないと想像しがちだが、東証など全国の証券取引所は開かれていた。さすがに本土空襲が始まった1944年以降は臨時休場になる日が増えたものの、長崎に原爆が投下された1945年8月9日まで取引が行われた。全国一斉の臨時休場になったのは75年前の今日、終戦のわずか5日前だった。

そして、株式指数は戦時中、概ね堅調だった。開戦直後に軍需株を中心に暴騰し、194210月から1943年3月にかけて高値を付けた。その後、戦況が悪化しても、指数は高値で推移した。これは、政府が株価統制令を出して安値の取引を制限したこと、公的機関を通して必死の買い支えを行ったことによる(物価が戦前の3倍以上に跳ね上がったので、投資家の実質パフォーマンスは大幅なマイナスである)。

このように、東証は戦時下でも何とか開かれ、相場は平静を装っていたが、株式市場の本来の機能を果たしていたとは言えない。

株式市場の様々な機能のうち、最も基本的な機能は、資金調達である。19432月のガダルカナル撤退で日本の劣勢が国民の目にも明らかになると、民間投資家は撤退した。取引所は、逃げ出す民間投資家の売りを公的機関が吸収するだけで、新規の資金調達は行われなくなった。資金調達という機能は完全に麻痺した。

また、付随的だが重要な市場の機能として、警告機能がある。指数が下がったら「経済が不調」、個別株が下がったら「(その会社は)経営不振」という警告を発することだ。戦時中、公的機関の買い支えで指数が高値を維持したことで、警告機能も失われた。

ただし、「警告機能は失われていない」という見解もある。1944年に入って戦況が悪化すると指数は急落し、1944年7月のサイパン陥落後に安値を付けた。市場は「戦争継続は困難」という警告を発した。また、1945年6月沖縄戦に敗れていよいよ絶望的な状況になると、指数はむしろ急上昇した。軍需株が下落した一方、内需株が上昇したのは、「終戦後の大変化に備えろ」という市場のメッセージだった。

翻って、現在の株式市場はどうだろう。資金調達については、十分に機能を発揮しているようだ。コロナ対策として上場各社の増資が活発に行われているし、新規上場の動きも途絶えていない。

警告機能については、微妙なところだ。コロナで経済も企業業績も厳しい状況にもかかわらず、4月以降、株式市場は堅調に推移している。戦時下と同じように日銀がETFを必死に買い支えているためで、政府・国民に警告を発することができていない。

ただ、すべての株が同じように上がっているわけではなく、外食・旅行や外需株が下落している一方、米ナスダックが史上最高値、東証マザーズが年初来高値を更新するなど各国の新興市場は好調だ。テスラのトヨタ超えも話題を呼んだ。経済・社会の変化を捉えて発展する企業を評価することはできているとも言える。

今回は戦時中の株式市場を取り上げたが、戦争という苦難の体験を生かせるよう、忘れられつつある戦争のさまざまな側面を振り返り、我々に与える教訓をじっくりと考えてみたいものである。

 

(2020年8月10日、日沖健)