やはり夏の甲子園を開催しよう

 

緊急事態宣言が解除され、プロ野球が619日に開幕することになった。遅ればせながら球春が訪れ、国民に夢と希望を与えてくれるのは嬉しいことだが、となると、返す返すも残念なのが、夏の甲子園の中止決定。高校野球に興味がない私でも「どうしてプロ野球ができて高校野球はできないのか」と疑問だし、まして高校野球ファンなら「中止は再考できないものか」と思わずにいられない。

 

日本高野連は520日に全国高校野球選手権を中止を決定した。高野連や関係者は色々な中止の理由を列挙したが、以下のように首を傾げざるを得ない。

 

    感染リスク・・・試合・練習で感染することはないし、ロッカールームなども3密に注意すれば済む。全国各地からの大規模な移動と宿泊を問題視しているが、バスや宿泊を分散させれば解決できる。分散による旅費・宿泊費の増大については、グッズ販売をし、寄付を募り、収入を各校に分配すれば問題ない。もちろん、無観客で開催する。

 

    医療スタッフの不足・・・ほぼ全ての地域で感染は終息しており、夏に医療スタッフが足りなくなるとは思えない。感染爆発になっていない限り、近隣府県から医療スタッフの応援を集めれば、十分に対応できる。

 

    学業への影響・・・高校野球はトーナメント方式なので、参加校の半数が1試合、25%が2試合しかしない。夏休み・冬休みを短縮すれば、1~2試合をやることで学業に深刻な影響が出るとは思えない。5試合以上も勝ち抜く強豪校は、普段から学業を放棄しているので、今さら学業への影響を心配する必要はない(異論は認める)。学業への影響を言うなら、代替大会の開催を容認することと矛盾するのではないか。

 

    怪我の心配・・・多くの学校がすでに練習を再開しているし、代替大会をやろうというくらいだから、まったく問題はない。万全を期すなら、試合前に体力測定を行い体力低下が認められた選手は出場させないようにすれば良い。

 

こうしてみると、努力と工夫は必要であるものの、「やろうと思えば十分にやれる」というのが客観情勢であろう。高野連のホンネは、先だって高校総体が中止を決定したことから、「高校野球だけ特別視するな!」「自粛に協力しない非国民!」とバッシングを受けることを恐れたのだろう。高野連には、中止の決定を再考するよう期待したいものだ。

 

やり方には工夫が必要だが、たとえばトーナメント方式ではなく、各校が抽選で決められた相手と1試合だけ戦う形はどうだろう(もちろん無観客)。これなら各校が甲子園に長期滞在することなく、短期間で大会を終えることができるし、高校球児の「甲子園でプレーしたい」という夢を叶えてあげることができる。

 

ところで、今回個人的に最も残念なのは、中止決定を受けて指導者や父兄など球児の周りの大人たちの多くが、「もう決ったことだから、現実を受け止めろ。この困難な経験を今後の人生の糧にするように」と球児を諭していることだ。

 

たとえば、ある会社の社長が従業員に「経営が厳しいので、給料を20%、ボーナスを全額カットします。もう決めたことだから、今後は前を向いて頑張ってください」と告げたら、従業員は納得できるだろうか。社長の言葉に「よし、前を向いて頑張ろう」と納得する従業員はいないだろう。「どうして賃下げになるんですか」「何とかならないんですか」と食い下がるか、「こんなアホな社長の下で働けるか!」と愛想を尽かして会社を離れるだろう。

 

困難な経験を今後の糧にするというのは、たしかに人生を生きて行く上で大切な教えだ。と同時に、他人が決めたことが正しいのか疑う、理不尽な決定には声を上げる、困難な状況を打開するために知恵を絞るというのも、また大切なことではないだろうか。

 

高野連、関係者、そして球児(他の競技も同様)には、「本当に中止するべきなのか」を是非再考して欲しいものである。

 

(2018年6月1日、日沖健)