パワハラ上司から学ぶ社会人教育の本質

 

私事で恐縮だが、毎年この時期になると思いだす、新入社員時代の思い出。

 

32年前、日本石油(現・JXTG)に入社した私は、2週間の新人研修を終えて、4月中旬大阪支店に配属された。配属のたしか翌日、私を含む同期入社・大阪支店配属の4人は、総務課のS課長から支店導入教育を受けることになった。

 

ところが、4人が指定の時間に会議室で待っていても、S課長は現れない。「おかしいな」と思っているところに、会議室内の電話の呼び出し音が鳴った。4人の一人M君が電話を取るとどうやら外線で、相手は「○○商事の□□や。営業の△△はんはいてるか。すぐ電話繋いでくれや」と早口の大阪弁でまくし立てている。外線電話を転送する方法も営業の△△さんのことも知らないM君があたふたしているうちに、電話がブチッと切れてしまった。

 

4人が「さあたいへん、どうしよう」と狼狽えているところに、S課長が入ってきた。そして、勝ち誇った笑みを浮かべて「さっきの電話を掛けたのは俺だ」と言う。続けて「お前たちは東京の変な大学で何を勉強してきたのか知らんが(ちなみに4人は一橋2・上智1・慶応1、S課長は慶応)、電話の取次ぎすらできないわけだ。まったく戦力になっていないことをちゃんと自覚しろ」と懇々と説教された。

 

さて、この仕打ちを受けた同期4人の感想。1人は「畜生、酷いことしやがって」と猛烈に憤慨していた。2人は「謙虚に仕事を学べというアドバイスだろう」と冷静に受け止めていた。私は「会社でも中学校の部活レベルの理不尽なことをするなんだな」と中学校時代を懐かしく思い出していた。

 

S課長の意図はおそらく「謙虚に仕事を学べ」で、4人中2人に伝わったことになる。その数が多いか少ないか、そういう教え方が果たして有効なのか、許されるやり方なのか(今の時代ならパワハラで余裕のアウト)、という議論はあるが、こうして32年経っても鮮明に覚えているくらいだから、インパクトのある教え方だったことは間違いない。

 

私は、その後ときどきS課長の意図について考えた。「電話の取次ぎとかちっちゃなことじゃなくて、会社全体、世の中のことに広く目を向けて大きく成長して欲しいというメッセージだったのかな? いや、S課長はそこまで深く考えていなさそうだ」

 

入社して14年後、私は会社を辞めた。S課長(取締役に出世していた)に退職の挨拶をしに行ったら「おめでとう!」と言われた。それを聞いて、「会社なんて理不尽なところだから、新人の頃から頑張って力を付けて、さっさと独立した方が良いぞ、という意図だったのかな? いや、ガチ会社人間のS課長がそんな発想をするはずないな」と考えた。せっかくだから、本人に意図を確認すれば良かった。

 

ということで、32年前の体験は今なお私の中で整理できていないのだが、社会人教育という点では、色々な示唆がある。

 

まだ知識も思考力も足りない未成年と違って、社会人は一つの情報、一つの体験から色々なことを考え、学ぶ。そして、S課長から4人が違ったことを考えた通り、情報・体験から何を学ぶかは、人によって大きく異なる。したがって教える側は、受け手が自分の意図と違った解釈をし、色々な学びを展開するということを自覚する必要がある。

 

だからといって教える側は、適当なことを言って「あとは頑張って色々考えてね」ではいけない。自分の教えによって受け手の思考が広がり、「もっと色々なことを学ぼう!」というきっかけになるのが理想だ。William Wordの「The great teacher inspires.(偉大な教師は学ぶ者の心に火をつける)」という名言の通りである。

 

現代の基準では、S課長は単なるパワハラ上司だ。しかし、企業研修や社会人大学院などで教えている私にとっては、社会人教育について深い示唆を与えてくれて、社会人教育について真剣に考える気にさせてくれたという点で、S課長は偉大な教師と言えるのである。

 

(2020年4月13日、日沖健)