自粛ムードと同調圧力

 

新型コロナウィルスの対策が進めらている。政府が226日に新型コロナウィルス感染防止対策を公表したのを受けて、大規模イベントの中止・延期、スポーツ競技の無観客試合や公営ギャンブルの無観客開催など対策が採られている。企業は、テレワークの活用や時差出勤を取り入れている。国民も手洗いの励行とともに、ライブハウスのような不特定多数が集まる空間を避けることが求められている。

 

こうした対策は、感染拡大を阻止するために必要なことだ。ただ、自粛ムードが蔓延し、商談や買い物など人と接触することを避けよう、そもそも外出をやめよう、といった過剰な自粛に発展してしまう可能性がある。自粛ムードによる過剰な対策は、経済活動を縮小させてしまうし、国民の精神も蝕むことになる。まだ国民の0.0001%にも満たない新型コロナウィルスの感染者数を見ると、自粛による影響の方がはるかに心配だ。

 

自粛ムードという言葉が生まれたのは、恐らく昭和天皇崩御が迫った1988年暮れだろう。「こういうときに宴会をするとは何事か」という声が広がり、全国の飲食店・遊興施設には閑古鳥が鳴いた。同じような事態が、2011年の東日本大震災の後にも起こった。今回は、まだ北海道以外はそれほど深刻な状態ではないが、今後、全国的に自粛ムードが広がる可能性がある。

 

日本人は、同調圧力の影響を受けやすいと言われる。確固たる自我がなく、他人と違うという状態を極度に嫌うからだ。とくに今回は正体不明のウイルスということで、「家で大人しくするべきだ」「人に会わないのが一番」と言われて、過剰対策の悪影響を考えず、無批判に同調してしまう。もちろん、専門家が勧める対策には同調するべきだが、ネットで流布している不確かな意見に耳を傾けて過剰対策をするのは、避けたいところだ。

 

逆に、同調圧力に影響されにくいのが高齢者。高齢者は元々頑固で、とくに今の70歳以上は成功体験が多い人生だったので、「俺は大丈夫」「俺には俺のやり方がある」と自信満々だ。周囲の制止を振り切ってスポーツジムにカラオケに出歩いている元気な高齢者が多いらしい。本来、感染しにくく、感染しても重症化しない若い世代が(支障ない範囲で)出歩き、高齢者こそ外出を自制するべきなのだが、真逆の状態になりつつある。

 

一方、他人に同調圧力を掛ける側の問題もある。主流の世論が形成されると、自分がそれに従うだけでなく、世間の人にも同調するよう求めることがある。そして、ときに同調しない他人を激しく攻撃する。今回も、コンサートを強行した東京事変・椎名林檎さんに対する猛烈なバッシングは、単なる批判を超えて、自分の考えに同調しない相手への憎悪を感じさせる。根底には、自分の同調が揺らいでしまうことへの不安があるのだろう。

 

不安はわかるし、他人のことを嫌う、憎むというのも個人の自由だ。しかし、同調圧力に屈する人が多いという現状において、不確かな意見への同調を迫ると、本人は「正義の味方」のつもりでも、結果的に社会を悪い方向に推し進めてしまう。SNSで自分の意見を自由に表明できる現代だからこそ、他者に同調を迫る発信には注意したいものだ。

 

フェイクニュースやデマに同調するのも、他人に強く同調を迫るのも、人間の心の弱さの表れである。トイレットペーパーの問題など、別に専門知識がなくても少し冷静に考えれば適切に対応できることが多いはずだ。

 

ただ、正体不明のウイルスについて様々な情報が飛び交う中、不安に打ち勝つ強い心を持つというのは容易なことではない。今回、国民の不安心理が増幅している原因として、政府がオリンピック開催や中国・習近平国家の国賓来日への悪影響を懸念し、情報発信を抑制してきた点がある。国民が疑心暗鬼にならないよう、政府・厚労省・自治体には適時適切な情報発信をして欲しいものである。

 

(2020年3月9日、日沖健)