人を遺すは上、だが

 

プロ野球で戦後初の三冠王に輝いた名キャッチャーで、監督としても日本一に3回輝いた野村克也さん(以下、敬称略)が11日、虚血性心不全のため亡くなった。享年84歳。「野村克也-野球=ゼロ」と語っていた通り、野球一筋の人生だった。

 

野村には、選手・監督として数々の輝かしい実績がある。が、何と言っても特筆すべきは、ヤクルト監督時代に古田敦也、楽天監督時代に田中将大など、歴史的な名選手を育て上げたことだろう。名選手や名監督はたまにいるが、人材育成でも偉大な成果を実現したというのは、日本のプロ野球の長い歴史で野村だけだ。

 

野村は、生前よく「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上とする」と語っていた(野村のオリジナルの言葉ではない)。本人としては、三冠王になったことよりも、3度日本一になったことよりも、古田・田中らを育てたことの方が嬉しかったのだろう。

 

ところで、野村のように、高齢者は人生において何をこの世に残すのかを考えたりする。さすがに若い頃は、食べていくために精一杯で、脇目を振らずに仕事に打ち込むのだが、成功し、人生も終盤に差し掛かると、自分の足跡をこの世に残そうとする。

 

プロテスタンティズムの伝統が残るアメリカでは、成功者は教会などに多額の寄付をして「財を遺す」。ただ、寄付は受けとった側がうまく活用しないと、簡単になくなってしまう。遺産についても、受け取った子息が返ってダメになってしまうことがよくある。

 

それよりも世の中の発展に貢献するのは、永続的なビジネスを創ること、つまり「仕事を遺す」ことだ。優れたビジネスを創れば、長期に渡って価値ある商品を提供し、雇用を生み出し、多額の税金を納めることができる。

 

しかし、環境変化が激しい現代において、どんなに優れたビジネスでも、永続どころか数十年もなかなか続かない。その点、優秀な人を育てる、つまり「人を遺す」ことができれば、優秀な人がさらに次の優秀な人を育て、足跡は永久に残る。

 

というわけで、「人を遺すは上」というのは、まったくその通りである。ただ、個人的には、金・仕事・人のどれが上か下かよりも、世の中に何かを「遺そう!」という気持ちを持つことそのものが大切だと思う。

 

日本では、死ぬまでに全財産を使い切るという豪傑は少ないが、子息にだけ財産を残し、世の中には何も残さないという高齢者が圧倒的に多い。しかし、金・仕事・人のいずれにせよ、「世の中に何かを遺そう!」という気持ちを持てば、それは周りの人に伝わり、周りの人も「自分も何かを遺そう!」と思うようになる。この「遺そう!」の連鎖で、世の中が良くなっていくだろう。何を残すかは、各人の特技や事情で決めれば良い。

 

私事だが、私がコンサルタントになるときに指導していただいた恩師T先生が今年90歳になり、何かを後世に残したいと考え、あれこれ試行錯誤している。資産家T先生は、財産を我々後輩に役立てようと画策しているのだが、さてどうだろう。T先生からは色々とご教示いただいたし、後世・後輩のために何かを残そうという姿勢を見て、以前は金の亡者だった私も「遺そう!」という風に考え方が変わった。「それで十分」と思っていただければ嬉しいのだが…。

 

(2020年2月17日、日沖健)