成長性と持続性は対立しない

 

日本電産は24日、日産から迎えた関潤特別顧問(以下敬称略)を社長に昇格させることを発表した。関は昨年12月に日産の新経営体制で副COOになったものの直後に退社し日本電産に移籍していた。永守重信会長(75)は、一代で売上高1兆6千億円の巨大企業を創り上げたカリスマだが、後継者選びにはこれまで3度も失敗している。今度こそバトンタッチが実現するのか、注目されるところだ。

 

ところで、同日の記者会見で関は、永守が掲げる「10兆円企業」という目標の達成を目指すことを明言し、「企業のサスティナビリティ(持続性)は成長のもとにしか存在しないと思っている」と述べた。これは興味深い発言だ。

 

日本では、後継社長は「企業をさらに発展させたい」と漠然と述べる程度で、経営方針を述べることはそもそも少ない。また、収益性やシェアの目標を口にすることはあっても、成長目標を掲げることは少ない。さらに、成長について述べる場合、次のように成長性と持続性(安定性)を相矛盾する対立概念として捉えることが多い。

 

「無理に成長を追い求めて、事業存続の基盤が脅かされてはいけない」

 

経営者だけではない。政治家や一般国民からもよく似た意見を聞く。

 

「経済成長よりも、安定した社会を作り、国民の生活の質と幸福感を高めることが大切だ」

 

 しかし、成長性と持続性は本当に対立するのだろうか。成長よりも安定というが、成長せずに安定を維持できるものだろうか。

 

成長企業と非成長企業があったら、投資家は、高いリターンを求めて成長企業に投資するだろう。労働者は、高い報酬を求めて成長企業で働こうとする。大学など研究機関は、機会・案件が多い成長企業と共同研究をしたい。つまり、成長企業にはより多くの資金・人材・技術が集まり、成長がさらに加速していく。

 

一方、非成長企業では逆のことが起こる。非成長企業は株主・労働者・研究機関にとって魅力がなので、資金・人材・技術が集まらない。資金・人材・技術が成長企業に流出し、縮小過程に入り、やがて経営が立ち行かなくなる。

 

成長も衰退もせず、経済規模や人口など変わらない状態を、経済学では定常経済という。江戸時代のように、ヒト・モノ・カネ・情報という経営資源の移動が制限されていたら、定常経済を維持することが可能だ。しかし、経営資源が自由に瞬時に低い取引コストで流通するようになると、定常経済は長続きしない。成長するか、衰退するかという二者択一になる。

 

この状況で、企業や国家には2つの戦略がある。一つは、正攻法で成長を求めることだ。この場合、成長(=豊かさ)を求める世界の企業・国家と戦い、勝ち抜かばならない。

 

もう一つは、定常状態を保っているニッチ領域にポジショニングすることだ。企業なら電力のような規制産業や歌舞伎のような伝統芸能は、これに該当する。ただ、こういうニッチ領域はどんどん縮小する傾向にあるし、人材・資金が流出するから、定常状態が長続きことを覚悟する必要がある。

 

政治家も経営者も一般国民も、アメリカ人・中国人は前者を、日本人は後者を望む(ヨーロッパは国によってまちまち)。日本では「グーグルを超える世界的な企業」を創ろうと意気込む経営者は稀で、たいてい「ニッチな領域で輝く企業」「ナンバーワンよりオンリーワン」を目指す。政治家も一般国民も、成長する中国・インドよりも世界から閉ざされた幸せの国・ブータンに憧れる。

 

個人ならどちらを選んでも構わない。しかし、ある程度の規模の企業や国家が定常経済を維持するのは難しいのではないだろうか。経営者や政治家は、改めて成長性と持続性の関係について考えてほしいものである。

 

(2020年2月10日、日沖健)