学問の世界にも破壊的イノベーションが必要

 

『イノベーションのジレンマ』で有名なハーバード大学のクレイトン・クリステンセン教授(以下、敬称略)が123日に亡くなった。クリステンセンは、主流の技術を支配する大企業が破壊的技術の登場によって衰退・死滅に追い込まれてしまうことを明らかにし、世界中の経営者に大きな衝撃を与えた。

 

クリステンセンによると、新しい技術で新市場を開拓したイノベーターは、その技術が主流になると、顧客の要望を受け入れて技術をどんどん進化させる(持続的技術)。すると、「そんなに凄い技術でなくても良いからもっと手軽に技術を利用したい」というローエンドのニーズが生まれ、それを狙って低価格のほどほどの不完全な技術で新規参入する事業者が現れる(破壊的技術)。

 

持続的技術を支配する大企業は、性能などで劣る破壊的技術を無視・軽視する。ところが、破壊的技術による参入者はローエンドのニーズを獲得するだけでなく、技術力を上げてハイエンドの市場に事業を拡大し、やがて既存の持続的技術を駆逐する。大企業が顧客の声を聞く「良い経営」をすることが破壊的技術の参入を招き、自身を死滅させるという悩ましい状況を、クリステンセンはジレンマと呼んだ(同書の原題は「Innovator’s Dillemma」)。

 

クリステンセンは、『イノベーションのジレンマ』で鉄鋼など多くの産業でこうした主役交代が起こっていることを明らかにした。かつて世界一だった日本の半導体・造船・家電などが韓国・中国の低価格攻勢に敗れ去ったのも、イノベーションのジレンマの実例と言えるだろう。同書が発表されたのは1997年だが、その後のICT革命によって小規模企業が破壊的技術で参入する余地は色々な産業で大きく広がっているに違いない。日本企業は、いま一度、同書の教えをしかと嚙み締めるべきだろう。

 

ところで、クリステンセンは元々ボストンコンサルティング・グループのコンサルタントで、30代で学問の世界に転じた。そして『イノベーションのジレンマ』で名声を確立した後、2000年にイノサイトというコンサルティング会社を設立している。コンサルティングと学問の両方で活躍したわけだ。

 

アメリカでは、学問の世界と実業界の垣根が低い。経営戦略の大家マイケル・ポーター教授もモニター・グループというコンサルティング会社を設立している。コンサルタントがいつの間にか学者になっていた、学者が起業家になっていた、ということが頻繁にある。そして、コンサルタントのデビッド・ノートンとハーバード大学のロバート・カプランがバランスト・スコアカード(BSC)を生み出したように、学者・コンサルタント・企業が活発に交流し、一体となってイノベーションに取り組んでいる。

 

日本でも近年、コンサルタントから学者に転じる人が増えている。しかし、元ボストンコンサルティング・代表で早稲田大学に転じた内田和成教授は例外として、学者になってもコンサルタント時代並みに活躍しているという例は皆無だ。失礼ながら、切った貼ったのコンサルタント業に疲れ果てたベテランが安息の地を求めて学問の世界に流れており、根本的にモチベーションが低いのだろう。

 

まして日本では、学者を辞めてコンサルタントや起業家になったという逆のケースは聴かない(学者のまま起業する学内ベンチャーは増加しているが)。せっかくの安息の地から離れたくないし、そもそもビジネスの世界は崇高な学問の世界より格下で、眼中にないというのが実態だろう。

 

近年、EラーニングでMBAを取得できるようになるなど、学問の世界でも破壊的技術が出始めている。しかし、伝統と実績を重んじる学問の世界では、破壊的技術が象牙の塔を駆逐するところまでは行っていない。

 

いま日本では、イノベーションの創造が叫ばれている。ビジネスの世界だけでなく、学問の世界、そして学問とビジネスの関係にもイノベーションが期待されるところだ。

 

(2020年2月3日、日沖健)