経営者に人望は必要か

 

有価証券報告書虚偽記載と特別背任の罪で起訴されていた日産のカルロス・ゴーン元会長(以下、ゴーン)がレバノンに逃亡した。ゴーンはレバノンに止まり続けるのか、法廷で裁かれて有罪になるのか、それともうやむやになるのか、迷走する日産の経営はどうなるのか、など世界的な関心を集めている。

 

ゴーンの逮捕・逃亡については、経営コンサルタントとして企業経営に携わる立場から、残念に思うことが多い(「ゴーン氏逮捕で5つの“残念”」参照)。さらに今回、個人的に最も残念に思うのは、かつてゴーンは一流経営者として世界中から絶賛されていたのに、関係者からの人望がゼロだということである。ゴーンは先週、日本のメディアの代表取材に対し「私には発言力と金がある」と語り、逆に金はあっても人望はないと自ら認めている。

 

事件発生から1年以上経つが、ゴーンを擁護する日産関係者の声をまったく耳にしない。長年ゴーン・日産を取材してきた井上久男『日産VSゴーン』によると、ゴーンは自分にこびへつらう部下を厚遇する一方、車づくりなどで意見を異にする部下には「Don’t teach me(俺に説教するな)」と言い放ち、容赦なく閑職に追いやった。ゴーンを利用して出世しようという関係者はいたが、ゴーンに付いて行こうとする人はいなかった。

 

私たちは、人の上に立つ経営者に、人望や人徳を期待する。古くはパナソニック創業者の松下幸之助、最近では京セラ創業者の稲盛和夫のように、私利私欲を捨て、社員・顧客・社会に貢献するために経営に打ち込む経営者に人望を感じ、打算でなく、心から付き従う。

 

理屈で考えても、人望のある経営者の方が人望のない経営者よりも良い経営ができるはずだ。どんなに能力が高い経営者でも、自分一人でできることには限りがある。経営者が孤軍奮闘するよりも、人望があり、関係者から能動的に貢献・協力してもらえる方が、経営課題にうまく対応できるだろう。

 

しかし、人望ゼロのゴーンが倒産の危機にあった日産を立て直し、一流経営者として絶賛されたという事実を見ると、経営者にとって人望がどこまで重要なのか、という疑問が湧いてくる。

 

最近、「実はゴーンは一流ではなかった」と過去の実績を否定する見解が増えているようだ。しかし、これは結果から逆算した偏った見方で、実績は実績として認めるべきだろう。実績を素直に解釈すると、人望がなくても良い経営はできる、人望は経営者の必要条件ではない、という結論になる。人望がある方がかなり有利ではあるものの、人望がなくてもそれを補う卓越した能力や強大な権限があれば、十分に良い経営ができるのだ。

 

私はMBA・企業研修の場で、あるいは著作で、経営者などビジネスリーダーを目指す学生・受講者・読者に、“無私の姿勢”を強調している。経営者は苦労が多い割に報われることが少ない理不尽な役割だが、それを理不尽と思わず、無私の気持ちでこの役割を受け入れることで他人が付いてくる―。

 

ただ、この「無私→人望→人が付いてくる→経営が成功」というロジックは、ゴーンや欧米のスター経営者を見ると絶対のものではなく、「そうあって欲しい」という素人の願望に過ぎないのかもしれない。こうした願望をひとまずわきに置いて、リーダーと人望の関係について冷静に実証的に再検討する必要がありそうだ。

 

(2020年1月13日、日沖健)