老後は自己責任、年金はあくまで保険

 

 

5年に一度公表される「公的年金の財政検証」が先週27日に公表された。検証結果は、従来通り「百年安心年金」、つまり「年金財政に問題はなく、年金制度を向こう百年間維持することができる」という内容だった。しかし、国民はこれを鵜吞みにして安心して良いものだろうか。

 

財政検証では、物価上昇率が最低0.5%~最高2.0%、実質賃金上昇率が最低0.4%~最高1.6%という、近年の状況からはかけ離れた楽観的な経済前提が置かれている。早稲田大学・野口悠紀雄らは、現実的な経済前提で試算すると年金財政は危機的な状態で、さほど遠くない将来、年金の支給開始年齢が70歳以上(現在65歳)に引き上げられるだろう、と指摘している。また慶応義塾大学・土居丈朗らは、終身雇用のサラリーマンの夫と専業主婦の妻を「モデル世帯」として検証していることが現実離れし不適切だと指摘する。

 

年金は、高齢者の生活だけでなく、現役世代の負担や企業の定年制など、広く一般の家計や企業経営に影響を及ぼす。政府の財政検証が正しいのか、専門家の指摘が正しいのか、今後どう対応するべきなのか、しっかり議論する必要がある。

 

とくに議論を深めたいのが、国民の老後における公的年金の位置づけだ。6月の金融庁のレポートをきっかけにした「老後資金2000万円問題」で改めてクローズアップされた通り、公的年金だけでは生活できない。支給開始年齢の引き上げや支給額の減額などが予想される中、果たして公的年金を中心に老後を設計して良いのか、大いに疑問だ。

 

個人的には、老後の生活は自己責任であること、年金はいざという時の保険であることを明確にし、公的年金を思い切って縮小するべきだと考える。支給開始年齢を95歳に引き上げ、富裕層(金融資産を1億円以上保有)への支給を止め、その代わり、95歳以上の貧しい高齢者には手厚く年金を支給する。

 

奇をてらった意見・極論だと思われるかもしれないが、年金は保険であり、「相互扶助でリスクに備える仕組み」という保険の本質からすると、常識的かつ現実的なアイデアではないかと考える。

 

まず、年金が扱う老後のリスクとは、想定よりも長生きして資金が尽きてしまうことだ。日本人の平均寿命は年々伸びて、男性81.25歳、女性87.32歳に達し、「人生百年時代」と言われる。95歳(平均寿命+10歳)まで生きるのは想定の範囲内で、リスクではない。元気はつらつ働ける前期高齢者や富裕層といった資金が尽きるリスクが小さい人たちにも年金を支給する現在の仕組みは、リスクヘッジという保険の本質から逸脱している。

 

また日本の年金は、国民ほぼ全員が年金を受給する仕組みで、広く保険料を徴収してリスクを分散し、困難に直面した人を助けるという相互扶助(助け合い)になっていない。リスクが小さい人にまで年金を支給しているため年金財政が悪化し、本当に年金を必要とする高齢者に対し満額で年77万円という微々たる額しか支給できていない。

 

支給対象者を大幅に制限し、年金制度を縮小することで、逆に年金を本当に必要としている高齢者を手厚く支援できるだろう(95歳より前に資金が尽きたら、生活保護など別の方法で支援する)。年金だけが頼りの高齢者が77円しか受け取れないのとお金を気にせず生活できるのでどちらが望ましいか、よく考えてほしいものである。

 

なお、政府・厚労省も、表立って言わないだけで、だいたい上記と似たようなことを考えているようだ。つまり、支給開始年齢の引き上げだけでなく、iDeCoNISA、定年延長といった近年の一連の政策は、「老後は自己責任、年金はいざというときの保険」という方向性に合致している。

 

6月の「老後資金2000万円問題」を受けて今回の財政検証が注目されていたが、従来通りの検証結果だったことから、公表後はニュースでもネット掲示板でもあまり話題になっていない。ただ、その陰で年金制度の崩壊に備えた改革がなし崩し的に進んでいる。われわれ国民は、政府任せにも学者任せにもせず、年金を我がことととして真剣に考える必要がある。

 

(2019年9月2日、日沖健)