入試は公平であるべきか

 

文部科学省は先週5日、大学入試で性別や年齢などの属性を理由に不利な扱いをしたり、試験の成績順に従わず特定の受験生を合格させたりすることを禁止する方針を明らかにした。昨年、東京医科大など10大学の医学部で不正・不適切入試が判明したことから、それ以外の学部も含めて明確なルール化が必要と判断したようだ。

 

性別・年齢といった、本人の努力ではどうにもならない属性によって受験生を差別することは許されない。また、親が金持ちかどうかで進学先が決まるのも理不尽だ。今回の文部科学省の措置は、日本では当然のことと受け止められている。

 

しかし、世界に目を向けると、入試の公平性は意外と難しい問題だ。いま、日本だけでなく、世界各国で入試制度の公平性が議論になっている。

 

実力主義社会とされるアメリカだが、こと入試に関しては極めてアンフェアだ。米連邦検察当局は先月、子息などを一流大学に入学させるために賄賂を渡したとして、弁護士・実業家・有名女優を含む50人を起訴した。この件はアメリカでの裏口入学の蔓延を物語っている。ただ、贈賄は犯罪だが、大学に多額の寄付をすれば、合法的に合格を金で買うことができる。また、親や親戚を卒業生に持つ学生は「レガシー(legacy)」と呼ばれ、ハーバード大など多くの名門大学にレガシー優先入学制度がある。

 

逆に、公平性が高いのがお隣の韓国、そして中国だ。韓国では毎年11月に行われる「修能」、中国では毎年6月に行われる「高考」という全国規模の学力試験でほぼすべてが決まる。いたってシンプル、いたって公平だ。

 

ただ、公平だから問題ないかというと、そうではない。韓国・中国では、過熱する受験戦争のプレッシャーから自殺する若者が増加し、社会問題化している。韓国の十代の死因で最も多いのは「自殺」で、自殺の理由のトップは「成績不振」(27%)だ。中国の都市部の高校では、生徒の飛び降り自殺を防ぐために校舎をネットで覆っている。

 

日本の入試の公平性は、アメリカと中国・韓国の中間というところか。今回明らかになったように、私立大学医学部では裏口入学・不正入試が横行しているが、他の学部まで広がっている印象はない。ただし、慶応大に代表されるように、私立大学の付属校に事実上レガシー優先入学制度があり、著しく学力が劣る付属校の生徒を無試験で大学に受け入れている。付属校を不公平と見るなら、日本は中国・韓国よりもアメリカに近いと言えよう。

 

今日、日本の入試は、学力試験だけでなく、AO・推薦と多様化している。AO・推薦で本人の性格・特技・活動実績などを比較・評価するのは難しいので、公平性の維持はなかなか難しい。もし公平性を徹底しようとすると、「やはり点数で客観的に評価しやすいペーパーテストで」ということになり、中国・韓国のような入試地獄になってしまう。

 

学力試験だけの公平な入試には、入試地獄とともに、大学にとって学生の多様性が失われてしまうという問題がある。学力試験では、学力は劣るが高度な特技を持つ受験生が排除される。海外の受験生に国語の試験を免除するといった特別扱いができない。地方出身者や貧困家庭の子息を優先的に入学許可するといった措置も難しくなる。もし公平性を徹底すれば、日本の一流大学は「地元に住み、親の年収が高く、ペーパーテストが得意な優等生タイプの日本人」の割合が上昇し、多様性が失われてしまう。

 

結局、公平性と多様性をどうバランスさせるか、という問題になる。もちろん絶対の正解はないのだが、基本は多様性を重視するべきだろう。現代社会では、決められたことをきちんとこなすよりも、新しい発想をしたり、イノベーションを起こすことができる人材が必要だ。こうした人材は、金太郎飴の環境ではなく、多様性のある環境で育つからだ。

 

国家の競争力は人材の質で決まり、人材育成を担う大学の良し悪しは、極めて重要だ。今後も多様性を重視して入試制度の改革をさらに進めるべきだが、最低限の公平性をどこに設定するか、レガシーや付属校をどこまで容認するか、など幅広い検討が期待される。

 

(2019年4月8日、日沖健)