濃密な師弟関係が学習を阻害する

 

先週、テニスの大坂なおみ選手がサーシャ・バイン氏とのコーチ契約を解消した。大坂選手は、昨年からバイン氏の指導を受けて急成長し、全米オープンで4大大会を初制覇した。先月それに続いて全豪オープンを制覇した直後の契約解消であったことから、日本国中が再び大坂選手で大騒ぎになった。

 

ただ、元トップ選手の杉山愛さんは、「テニスの世界では、環境を変えるため、新しいステージに向かうためにコーチを変えることは、珍しくない」と語る。バイン氏は、メンタル面を中心に大坂選手を成長させたが、過去にトップ選手のコーチをした経験はない。大坂選手は、世界のトップに立って一つのステージが終わり、1ランク高い技術的課題に対処するために、コーチ交代を決断したのだろう。

 

ということで、大坂選手はテニス界ではごく当たり前のことをしただけで、大騒ぎする話でもなさそうだ。実際、海外のメディアはさらりと事実を伝えているだけだ。とすると、なぜ日本では大騒ぎになっているのかという違和感を覚える。

 

大騒ぎしている人たちは、日本独特の師弟関係が念頭にあるのだろう。日本のスポーツでは、大相撲に代表されるように、弟子である選手は師匠である監督・コーチと師弟関係を結ぶ。弟子は、人格・経歴・家族関係・時間など自分のすべてを師匠にさらけ出す。一方、師匠は弟子のすべてを受け入れ、競技の指導だけでなく生活全般を管理し、人生相談にも乗る。

 

そういう師弟関係のベースには、弟子と師匠の相互の信頼がある。信頼は、ちょっとやそっとでは揺らがないので、師弟関係は長く続く。師弟関係の解消は、何か非常事態で信頼が崩れてしまったということだ。そのため関係解消、とりわけ身分が下の弟子の方から解消すると、今回のように「師匠に対し無礼だ」「どういう問題があったんだ?」と大騒ぎになる。

 

日本では、スポーツだけでなく、歌舞伎など伝統芸能や茶道など稽古ごとでも、師弟関係は濃密だ。学校でも先生を“恩師”と呼んで生涯に及ぶ師弟関係を結ぶことがある。伝統的な日本企業では、上司と部下の関係もそれに近い。

 

こうした濃密な師弟関係には、深い学びができる、人格的にも成長できる、といったメリットがある。しかし、弊害もまた多い。

 

まず、濃密な師弟関係は、学ぶことへの敷居を物理的に高くしてしまう。同じ料理の勉強といっても、街のクッキングスクールなら会社勤めや家事をしながら気軽に楽しめるが、寿司屋で修行するには他のすべてのことを断ち切る一大決心が必要だ。

 

心理的な敷居も高まる。技術的なアドバイスをもらうのは歓迎しても、自分のすべてをさらけ出して師匠と濃密な関係を作ることに抵抗感を持つ人は、とくに若い世代では多いのではないだろうか。

 

また、必要に応じて師匠を変えることが難しくなる。大坂選手のように成長した弟子は、より発展的なことを学びたくなる。科学・技術が進歩すると、今まで師匠から教わったことが陳腐化してしまう。スゴイと思った師匠が実は低レベルだったということもある。そういう時、「師弟関係の解消はけしからん」となると、発展的な学びや環境を変えることが阻害されてしまう。

 

世の中には人生すべてを捧げないと学べない奥義もあるだろうから、濃密な師弟関係を全否定するわけではない。しかし、知識・技能がどんどん変化し、色々な職業で幅広い知識・技能が必要となってい現代では、師弟関係にとらわれず自由に学ぶことの方が大切だろう。

 

やたらと「師弟の愛情物語」を強調するマスメディアやそれに涙する日本国民は、日本の学びを停滞させているという重大な問題に気付くべきである。

 

(2019年2月18日、日沖健)