スルガ銀行事件で再認識したこと

 

スルガ銀行の不正融資問題が社会問題化している。第三者委員会の調査によると、シェアハウス投資などへの不正融資は1兆円に達し、多数の個人投資家や高齢資産家が影響を受けているようだ。スルガ銀行は、真相究明と抜本的な対策を講じ、信頼回復に努めてしてほしいものである。

 

今回の事件について評論家やマスコミは「経営陣は襟を正せ」「コンプライアンスを徹底せよ」などとスルガ銀行を糾弾している。たしかにその通りだが、経営陣の姿勢やコンプライアンスだけの問題だろうか。かつてスルガ銀行は、全国の地方銀行の中でも屈指の収益性・健全性を誇り、「地銀の優等生」と称賛されていた。その優等生が怪しげなビジネスにのめり込んだのは、「そうでもしなければ生き残れない」という戦略上の問題がある。

 

スルガ銀行に限らず、地方の金融機関は末期的な状況にある。金融庁の調査によると、2018年3月期決算で地方銀行全106行のうち約4割の40行が、本業が3期以上連続で赤字となった。地銀ですらこの惨状だから、体力で劣る信組・信金はさらに厳しい状況に置かれているに違いない。言うまでもなく、人口減少・公共事業削減・東京一極集中などによる地方経済の縮小・疲弊が原因だ。

 

今回の事件は、地方銀行というビジネスモデル、さらには経営戦略論で言う集中化に重大な疑問を投げかけている。マイケル・ポーターによると企業の競争戦略には、差別化・コストリーダーシップ・集中化の3つがある。差別化は他社と異なる性能・品質の商品を提供すること、コストリーダーシップは他社と同じ性能・品質の商品をより安く提供すること、集中化は特定の地域・領域・製品ライン・用途などに特化することだ。特定の地方に営業範囲を限定する地方銀行は、典型的な集中化である。

 

地銀だけでなく、地方の中堅・中小企業の経営者は、3つの中で集中化を断然支持する。「大手が進出していない地域でがっちり地盤を固めよう」「グローバル競争が及んでいないニッチな製品分野でトップになろう」というわけだ。しかし、それでうまく行くことは少なく、たいてい短期間で経営が行き詰まってしまう。なぜか。

 

あらゆるビジネスは、需要を確保することで成立する。集中化がうまく行くのは、「集中する市場セグメントの規模がある程度大きいが、大手が注目せず、規模が大きくも小さくもならない」という場合だ。市場規模がかなり大きいと大手が注目して参入する。今は小さくても将来大きくなれば、やがて大手が参入する。逆に、小さくなればやがて事業が成り立たなくなる。

 

つまり、集中化は、大手に注目されず、成長もせず、衰退もせず、という微妙なバランスの上に成立する戦略なのだ。これは、変化の激しい現代では極めて特殊な状態であり、それほど長続きするものではない。

 

地方銀行の場合、戦後の高度成長期からバブル期まで、大蔵省の護送船団方式の恩恵もあって、この条件が成立した。2000年以降、市場が縮小し、集中化は成立しなくなったが、数十年に渡って集中化が機能したから、成功事例だと言えよう。しかし、地方銀行は日本全体で見ると例外で、多くの産業では集中化は成り立たない、あるいは成り立っても長続きしないのではないだろうか。

 

企業が創業した直後は、経営資源が限られるので、有望なセグメントに集中するのは有効だ。しかし、事業が軌道に乗った後は、差別化かコストリーダーシップが戦略の基本で、多くの信奉者がいる集中化は例外的な戦略である、これがスルガ銀行など地銀の窮状から学ぶ最大の教訓である。

 

(2018年9月3日、日沖健)