行動経済学と今年の日本経済

 

リチャード・セイラ―教授が昨年9月にノーベル経済学賞を受賞した。セイラー教授は行動経済学のパイオニアである。この分野ではダニエル・カーネマン教授がすでに2002年に受賞しており、むしろ遅すぎたくらいだ。それはさておき、セイラー教授のノーベル賞受賞をきっかけに、いま行動経済学が改めて注目を集めている。

 

伝統的なミクロ経済学には、売り手と買い手は品質に関して完全な情報を持ち、マーケットで付いている価格を見て行動するという「プライステイカー」の前提がある。しかし、実際には、すべての経済主体は完全な情報に基づき合理的に意思決定しているわけではなく、非合理的な意思決定をしてしまう。行動経済学では、人間の意思決定は完全に合理的でもまったく非合理的でもなく、情報が制約された状況で限定合理的に意思決定するものと考える。行動経済学によって、より現実に即した意思決定の分析をすることができる。

 

行動経済学の教えを最も肝に銘じる必要があるのが、経済予測だと思う。

 

年始のこの時期、多くの専門家や市場関係者が今年の日本経済を占う。ざっと見たところ、アメリカ・中国など海外主要国の好況が続き、その影響で日本経済も堅調に推移するという予想が圧倒的に多い。

 

ただ、専門家や市場関係者は完全な情報に基づいて予測しているわけではないし、そもそも、日本経済に影響を与える主要なプレイヤーが合理的に意思決定しているわけではない。非合理的な意思決定を非合理的に予測しているわけで、大間違いを犯す可能性がある。

 

専門家・市場関係者の予測の精度が低いことはさておき(関心がある方は「なぜプロの予想は大外れするのか?」を参照)、日本経済に大きな影響を及ぼす主要なプレイヤーのうち、我々の期待を裏切る可能性がある金正恩とトランプ、そして日銀・黒田総裁について確認しておきたい。

 

専門家・市場関係者の予測は、いずれも「北朝鮮情勢が有事に発展しなければ」という前提条件つきの話だ。そしてほとんどの人が「金正恩が核攻撃すれば、アメリカの反撃を受けてすぐさま北朝鮮は崩壊する。自分の首を絞める非合理的な決定をするはずがない」と考える。

 

しかし、1941年に日本軍は必ず負けるとわかっていた対米開戦に踏み切ったように、金正恩が暴発する可能性は無視できない。世界のリーダーが合理的に考えたら、大半の戦争は発生しない。

 

それよりも日本にとって最悪の展開は、トランプ大統領が北朝鮮と直接交渉し、北朝鮮の核保有を認めることだ。アメリカにとっては、自国が核攻撃の対象にならなければ良いわけで、北朝鮮がアメリカを攻撃対象から外すことと引き換えに核保有を認めるのは、十分にありうる話だ。その場合、即座に緊張が高まることはなくなる代わりに、金正恩が生きている限り日本は北朝鮮の核の脅威に晒され続けることになる。

 

もう一つ予測が難しいのは、日銀黒田総裁だ。4月に黒田総裁は任期を迎えるが、安倍首相が黒田総裁を厚く信頼していることから、専門家・市場関係者は「黒田総裁が続投し、今後も超緩和政策を続ける」という前提で予測を立てている。

 

しかし、こちらも黒田総裁がお得意の“サプライズ”に打って出る可能性がある。まず、73歳と高齢な黒田総裁が再任を拒否するかもしれない。順当に再任しても、出口戦略にほんの少し舵を切れば、金融緩和による円安を頼みの綱にしてきた企業収益に深刻な影響が出るだろう。

 

黒田総裁が市場の懸念に配慮して続投し、超緩和政策を続けても、市場が勝手に動き出す可能性もある。異次元の金融緩和が5年も続き市場の国債が枯渇している。米欧はすでに昨年から出口戦略に舵を切っている。市場が出口戦略を先取りして動き出すと、政府・日銀の思惑に関係なく、金利上昇→円高→企業収益悪化、と進んでいく。

 

もちろん、これらはあくまでリスクシリオであって、メインシナリオは「何事もなく、引き続き好調な1年」だ。ただ、ここ数年日本経済が好調だったのは、安定した国際情勢の下、円安に恵まれたからだ。この前提が崩れてしまう可能性について、投資家や企業経営者は例年よりも注意するがあるだろう。

 

(日沖健、2018年1月1日)