品質問題に見る願望と目標の境界

 

9月以降、日産、神戸製鋼所、スバル、三菱マテリアル、東レといった大手製造業で品質管理体制の不備や品質データの改ざんが相次いで発覚し、問題になっている。日本のメーカーは長年、品質の高さを売り物にしてきたが、品質への信頼が大きく揺らいでいる。問題になっている企業には、抜本的な対策を講じて、信頼回復に努めてほしいものである。

 

ただ、これだけ次々と問題が露呈するのは、名前が挙がっている各社だけでなく、多くの日本企業で似たような問題が起こっている可能性がある。問題企業を非難するだけでなく、日本企業の品質管理に根本的な誤りがないかどうか、謙虚に見直す必要がある。

 

私は品質管理については門外漢なのだが、長く疑問に思ってきたことがある。それは、「不良品はゼロが理想」という考え方だ。

 

メーカーの幹部や現場の作業長と話すと、「不良品やミス・不具合は、少なければ少ないほど良い」というコメントを耳にする。私が「では、どれくらいが理想ですか?」と聞くと、「理想は不良品ゼロです」と答える。そして実際に「不良品ゼロ」を目標に掲げ、壁に張り紙をし、朝礼で毎日唱和するするなど、現場に徹底しているケースも多い。

 

ただ、不良品を減らすのは容易なことではないし、どれだけコストや労力をかけてもゼロにするのは物理的に不可能ということもある。ちょっとした心がけで済むなら良いが、不良品を減らすのが困難あるいは不可能という状況で「不良品ゼロ」という目標を設定すると、色々な弊害が出てくる。

 

まず、顧客満足度が低下してしまうことが懸念される。

 

不良品をゼロにするには、設計・作業・設備・検査など追加のコストがかかる。労力・時間もかかる。需要の3要素であるQCDは相対立するので、Q(Quality品質)を徹底的に高めると、C(Costコスト)が上がり、D(Delivery納期)が遅れる。日本企業のようにすでにQが相当高い状況でさらにQを高めようとすると、CとDの悪化で総合的な顧客満足度が低下してしまう。

 

それよりも個人的に危険だと思うのは、事実上、現場が業務を運営する上での目標が不在になってしまうことだ。

 

経営上層部から「不良品ゼロ」という目標が与えられ、現場の従業員は「どうせできっこない。単なる願望だろ」と受け止める。目標が願望になってしまうと、実質的な目標が不在になってしまう。目標がないと、現場はどこまで力を入れて活動したら良いのかわからなくなってしまう。

 

今回、神戸製鋼所・三菱マテリアル・東レでは、客先のメーカーの厳しい品質基準を満たすために、品質データを改ざんした。神戸製鋼所に対しトヨタなどが「製品の品質には問題ない」と判断している通り、メーカー基準は明らかに過剰品質で、「不良品ゼロ」とよく似た願望と言える。

 

一連の品質問題で問題の各社は、「管理体制を強化します」「品質に対する現場の意識を高めます」と言う。さすがに、顧客・社会に対してそう表明せざるを得ないのだが、実際にやるべきことは、客先の厳しすぎる品質基準を見直し、現実的なものすることではないか。検査体制が問題になった日産やスバルの場合、現実離れした国の規制を見直すように働きかけるべきではないか。

 

品質管理だけではなく、日本企業では、願望と目標の境界があいまいで、事実上目標が不在になっている状況をよく見受ける。「顧客満足度100%」「すべての顧客のニーズに24時間対応する」「離職率ゼロ」「残業ゼロ」などなど。

 

ソニーは、戦後の焼け野原で創業した当時から世界で活躍することを目指した。ファーストリテイリングは、単に服が売るだけでなく、非効率な日本の流通に革命を起こすことを目指した。良い目標を持つことは、企業が発展する原動力になる。企業だけではなく、地域でも、家族でも、個人でも同様だ。

 

願望を持つのは良いことだが、願望と目標を区分する必要がある。ビジネスやプライベートで願望と目標の境界がなく、目標不在の状態になっていないかどうか、確認することをお勧めしたい。

 

(日沖健、2017年12月4日)