大学の無償化は愚策

 

教育無償化が議論になっている。安倍政権が「人づくり革命」を打ち出し、消費税増税分を教育無償化(や社会保障の充実)に充てるとして衆議院を解散し、国民に信を問うた。当初は、「どうせ選挙対策のリップサービスだろう」と思われていたが、先週、政府が財源確保に向けて経済界に3千億円の追加負担を求めたことから、「どうやら安倍首相は本気らしい」と雰囲気が一変している。

 

「もっと教育を充実させよう!」という一般論に対し、財源の問題を別にすれば反対する人はいないだろう。しかし、教育無償化が日本の人づくりにプラス効果をもたらすかというと、かなり疑わしい。

 

あまり注目されていない今回の最大の懸念事項は、高等教育(大学)の無償化である。今回の教育無償化は、かねてから格差是正のために検討されてきた幼児教育だけでなく、高等教育も対象にしている。しかし、高等教育の無償化は、以下の通り非常に危険な政策だ。

 

教育投資の効果は、世代によって大きく異なる。5歳児以下の幼児への教育投資の効果は、ノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ヘックマンらによって、すでに確かめられている(ヘックマン『幼児教育の経済学』)。日本の厳しい財政事情を考えると、もろ手を挙げて賛成というわけではないが、十分に効果を期待できる政策だ。

 

一方、高等教育への投資は、効果が実証されていない。常識でわかる通り、大学生は、小学校・中学校・高校とすでにかなりの教育を受けており、追加投資の限界効果は小さい。

 

もし日本に奨学金制度が存在しないなら、教育無償化によって“貧しい家庭の優秀な高校生”が大学に進学するようになる。これは一定の効果がある。しかし、すでに奨学金が存在する状況で、教育無償化によって大学に進学するのは、“貧しい家庭の学力が劣る高校生”が主体であろう。

 

学力が劣る高校生が進学するのは、底辺の大学、いわゆるFラン大学だ。少子化で学生集めに苦しんでいるFラン大学にとっては、教育無償化が実現すれば、またとない朗報だ。今回の高等教育の無償化の本質は、Fラン大学の延命なのだろうか。教育機関としては崩壊しているFラン大学を延命させることが本当に良いことなのか、しっかり議論するべきだ。

 

初等教育・中等教育は、国民が最低限の生活をする上で必要なので、義務化され、国がほぼ無償化している。しかし、高等教育については、現在、日本を含め大半の国が無償化していない。大学で学ぶと高度な能力が身に付き、将来より高い収入を得られるので、受益者に費用を負担してもらおうという話になる。国民がすべて大学に行くなら、小学校・中学校と同様に無償化するのはありだが、国民の半分強しか大学に進学していない状況で、無償化を理論的に正当化するのは困難だ。

 

いま、世界では、大学の授業料がどんどん上がっている。しかも日本以外では、良い大学ほど授業料が高い(日本では、市場原理に逆らって良い大学ほど授業料が安い)。ハーバード大学のエグゼクティブコースは、1か月足らずで授業料が6百万円もする。良い教育プログラムを作り、良い教授を招き、良い学習環境を整え、世界中から優秀な学生を集める。良い教育を提供するためのコストは、当然、受益者に負担してもらう。

 

大学が無償化されると、良い教育をしなくても学生が集まる。大学の経営は安定するが、大学は経営努力をしなくなり、大学のレベルは下がるだろう。さすがに、すべての大学に対し、無条件かつ全面的に無償化することはないだろうが、高等教育の無償化は、ただでさえ国際的な評価が低く、じり貧の日本の大学をいよいよ衰退させる劇薬となり得る。

 

今回の議論が厄介なのは、「教育の充実」という大義名分は否定しにくいし、幼児教育の無償化は良い政策である一方、高等教育の無償化は愚策だということだ。「教育の充実は良いことだ、だから大学も無償化しよう」という粗雑な議論にならないよう、慎重な検討が求められる。

 

(日沖健、2017年11月6日)